新しい「地方-都市」関係構築へ向けて
地域共創カレッジは、島根県海士町での活動で知られる株式会社巡の環の共同創業者である信岡良亮さんが地域と都市の新しい関係づくりのために創った株式会社アスノオトが主宰するもの。同社代表取締役を務める信岡さんは、地方ひいては日本が抱える構造的な課題の多くが、「地方と都市の関係の問題」にあるとし、近年活動の拠点を海士町から東京に移し、新しい関係構築の可能性を探る活動を続けている。
会に先立ち、信岡さんは日本の人口が2009年をピークに減少に転じ、2100年には4700万人にまで落ち込むことを示し、「日本は歴史上初めて人口が減少する時代に入った。地方での出生率はまだ比較的高いが、出生率の低い都市部へと人が流入してしまう。構造的に子供を生みにくい社会になりつつある今、地方と都市が対等なチームを作り、同じ未来に向けて進まなければ明るい未来はないのではないか」と、地域共創カレッジ設立の背景を説明した。
対象は、「都市で活躍しているビジネスパーソン」。「田舎でのんびり過ごしたい、という人ではなく、都市で生活しながらも地域と関わるキャリアステップを模索する人、今の仕事を通して地域課題に取り組みたい人」などを求めている。
こうした都市側の人材が、地方を応援したい都市部の企業やサポーターを取りまとめる「都市側コーディネーター」となり、地方にいるコーディネーターとチームになることを目指す。信岡氏は、このような体制を「都市と地域の生態系」と呼び、「多様性を育むためにも、さまざまな人材に集まって欲しい」と呼びかける。
カリキュラムは2016年5月から10月までの半年に渡る。先進的取り組みを続けている5地域と提携し、地域側コーディネーター、リーダーとともに、実際にプロジェクトを立ち上げ、体験しながら学んでいく「プロジェクト・ベースト・ラーニング(PBL)」という手法を取る。
先進5地域の現実と期待
この日は、提携する先進5地域から、活躍する地域側リーダーもゲストとして登壇し、活動する地方の現状と、共創カレッジへの期待を語った。
岡山県西粟倉村からは、森の学校ホールディングスの牧大介氏。「信岡くんがとても素敵な人材の“生簀”を作ると聞いて(笑)、喜んで参加させてもらった」と冒頭で笑いを誘った。西粟倉村では、この数年でローカルベンチャー14社が発足、100人の雇用を生み出し、年間8億円の売上を出している。「ポスト資本主義とは言われても、田舎にはまだ資本主義が足りていない。ある程度の経済的自立が成り立ち、成功したベンチャーがさらに次のベンチャーに投資していく地域経済循環がまだまだ必要」と牧さん。その意味で「田舎はまだまだビジネスフロンティアがたくさんある。ビジネスマインドを持った人に参加してほしい」と呼びかけた。
徳島県神山町で活動するNPOグリーンバレー理事の祁答院弘智(けどういんひろとも)さんは、環境事業からサテライトオフィスの誘致、サービス業の拡大によって、「地域内循環が回り始め、ようやく本丸の農林業へとジリジリと近づくことができるようになった」とこれまでの活動を振り返る。地方創生は仕事の問題と言われるが、仕事を生み出すのではなく、仕事を持つ人を呼ぶ“ワークインレジデンス”の促進のほか、ビジネススキルのような“やり方”ではなく、人としてどうあるべきかという“あり方”を学ぶ人材育成の「神山塾」などの活動を紹介した。
同じく徳島県の葉っぱビジネスで有名な上勝町からは、葉っぱビジネスの次なる上勝を創るべく多くの事業を立ち上げ運営するソシオデザインの大西正泰さんも、祁答院さんと同様、「地方創生には20年かかる」と話す。「20年の潜伏期間があり、その後成長期、成熟期、そして衰退期に入る。上勝町も人口が減少し、衰退期に入ったと言える」。人口が減少していく社会で無理やり人口増を図るのは「テロと同じようなもの」とし、「逆に人が少ないほうが、面白いビジネスが作れる。日本の地方で起きている停滞は、遊牧民・狩猟民がいなくなり、農民だけになっちゃったからに他ならない。遊牧民、狩猟民みたいな人たちと一緒に連携していけたら」と希望を語った。
島根県海士町の地域づくりに取り組む巡の環の阿部裕志さんによると、大西さんの言う「潜伏期→成長期→成熟期→衰退期」というサイクルが、海士町でも起きているという。「30年くらい前から活動し、CAS(魚を新鮮なまま凍結するシステム)を導入してきたまちづくりの先輩たちが引退し、衰退期に入ろうとしている。キーワードは世代交代じゃないか」とし、先輩たちが思い描いた世界を「見える化」し、「都会の人たちとどういうやり方ができるのか、次世代の生態系を作りたい」と話す。必要なのは「地方への愛と、現実にビジネスを起こす力を持った人。そんな“パワー&ラブ”な人とともに、もう一度地方に波を起こしたい」。
宮城県女川町で活動するNPOアスヘノキボウ代表理事の小松洋介さんは、「1000年に1度の災害から、1000年に1度のまちづくり」を進める同町の現状を話した。震災で人口が1万人から6900人に減った女川町は「15年先に時計の針が進んでしまった」ようなもので、産業界が一体となって復興計画を上申、行政民間が一体となって復興に努めている。そこで大切にしているのは「活動人口の増加」だ。「女川町を“使ってくれる”人をどう増やすか、ということがもっとも重要」で、移住定住者の増加には必ずしもこだわらない。テナント型の商店街で、意欲のある人が活動しやすい体制を整えている状況などを解説した。
島の大使館に見るカレッジの可能性とは
この地域共創カレッジは、2015年10~11月に実施された「島の大使館」を雛形としている。中小企業庁の「ふるさとプロデューサー育成支援事業」の研修生6名を受け入れ、海士町の都市側コーディネーターとして活動してもらうというもので、海士町のプロモーションをミッションにしたPBLだ。
四谷の飲食店を使って島の物産を使ったメニュー開発、関係人口を増やすイベントの企画運営などを行い、2ヶ月で18回のイベントを実施、600人以上の来店者を誘引、海士町へ月間23万円相当の還元ができたという。
この日は参加メンバーの3名が、島の大使館の体験談を語ったが、3名に共通していたのは、マインドセットの変化、新しい働き方への気付き、さらなる活動への意欲の芽生えなどだった。発表者の加藤紘道さんは「チームマネジメントの手法で学ぶところが大きかった」と話し、自身の地元の富山を舞台にした活動へ繋げたいと希望を語った。IT畑で働いてきた塚原昌代さんは、「できるか不安もあったが、PBLを通して自分の可能性を見つけることができた」とし、ここで得られた人脈の広がりも活かし、今後「副業」ならぬ「複業」として、「“楽しい”を大切に、パラレルな働き方を探したい」と意欲を見せる。また、もともと島に興味を持っていたという矢野沙織さんは、島の大使館での経験をもとに、「どこかの島で宿を始めたい」と、新たな一歩を踏み出したことを語った。
目指すは新しい学びのカタチ
島の大使館を雛形に地域共創カレッジを立ち上げたように、地域共創カレッジの向こうには、さらに大きな構想が描かれている。それは「新しい学びのカタチ」と信岡氏。
「今の教育は、地方から東京へ、さらには海外へと一方通行になってしまっており、なおかつ出口が“個人の成功”しかないように見える。もっと社会規模の成功や幸せを考える教育があってもいいのではないか」
イメージしているのは「藩校」。「地域のことを、地域のために地域で学ぶ」、そんな教育機関の設立を思い描いているという。
地域共創カレッジの募集は2月頭からを開始している。
・アスノオト:http://asunooto.co.jp/
・申込フォーム:http://asunooto.co.jp/news/form/college-2016.html
定員は20名で、先進5地域に4名づつ振り分け、チームを組織する。競争倍率は高くなりそうだが、選考基準は「未来に向けた問題意識を持っていること」「自分自身の課題意識とマッチしていること」。われこそは、という人は、ぜひとも応募してみてほしい。