記事検索
HOME > 移住する > Uターン >
2016年2月12日 清水美由紀

夢だった長崎・五島列島への孫ターン!夫婦で選んだミニトマト農家「りんたろうふぁ~む」の島暮らし

長崎県五島列島にある小さな島、小値賀島。大阪で生まれ育ち、都会で仕事も人間関係も築いていた夫婦が、6年前に島へ移住しミニトマトを栽培している。「りんたろうふぁ~む」の橋本武士(たけし)さんと由美さんご夫婦に、移住の経緯や島での農業や暮らしについてお話を伺った。

幼少時代の夏の思い出がつまったこの場所

大阪出身の武士さんと五島列島とのつながりは、少年時代にさかのぼる。小値賀島から「はまゆう」という船にのり約10分の場所にあるさらに小さな島、大島はご両親の故郷であり、武士さんの祖父母が住んでいた。 島を出たお父様は大阪に移り住み、その後を追って島を出て来た8人の兄弟が6畳3部屋の家に居候していたのだという。

「弁当とか全部面倒見てるの、おふくろじゃないですか。だから夏のあいだは、あんたちょっと大島帰っててー、って感じでね。幼稚園のときは2、3ヶ月島で過ごし ましたね。4歳くらいの時には大阪駅で乗せられて、ちっちゃい紙袋くらいしか持たされないで、みかん食べながら夜行列車でひとりで帰るんですよ。」

小さいながら、夜行列車に乗り終点の佐世保へ。佐世保駅からターミナルまで歩き、船で小値賀へ。そして大島へ。そんな旅をし夏を五島列島で過ごすということ を毎年、高校生までやっていたのだという。

「ちっさい島なんで親戚筋が多いんですよ。みんな熊本や福岡にバラバラに住んでるんですけど、お墓参りにみんな帰ってくるんです。だから夏休みはみんな集まって遊んで。すごいですよ、にぎやかで。」一番多感な時期を過ごした島は、子どもだった武士さんにとって大きな存在感を持ったに違いない。

uploads▲小値賀島・柿の浜海水浴場から眺める透明度の高い海

 

「最後はこの島に帰ってきて暮らす」

大阪で就職し、会社で由美さんに出会い結婚した。時代はバブル経済まっただ中で、武士さんはゴルフ会員権を販売する会社で営業マンを、その後不動産のマンシ ョンデベロッパーの会社で営業マンとして働いていたのだという。 けれど、武士さんの心の中にあったのは大島の風景だった。夏休みを過ごしていた少年時代から、最後は島に帰ってくることを考えていたのだと言う。 「島に移り住むことだけは、理由はわからないんですけど決まっていたんですよね。」

真っ直ぐな目でそう話してくれた。

uploads▲りんたろうふぁ~む 橋本武士さん

それでも、由美さんにはずっとその気持ちを伝えられずにいた。 「がっつり大阪の人間で、友達もすごくたくさんいてますしね。女子会とかあるじ ゃないですか。楽しそうに出かけてんの見て、そういうのを取り上げる形になっちゃうんで、どうしようなかあと…。」

だから、実は田舎に移住したいと伝えたときは、かなりドキドキしながらの告白だ ったのだそう。食事をしながらさりげなく、「島暮らしもいずれは楽しいかもね」 とつぶやくと、帰って来たのは意外な答えだった。「それは楽しいにきまってるやろー」と。

「『島引っ越したら、何して暮らしてけるかな?』って言ったら、『絶対漁師やね』って。でも俺船酔いするんですよ笑。だから漁師は絶対無理やなと思って、 『今は魚減ってるし、絶対生きてかれへんで。今野菜高いやん。いっぱい畑あるか らな、自由自足みたいに自分でつくればタダやん。』とかって話したんです。その程度に甘く考えてたんですよ。

大阪人ならではのスピード感で、冗談まじりに話が進む。 ドキドキしながら始まった告白は、言い出しっぺの武士さんがあっけにとられる 程、ぐんぐん速度を増して現実味を帯びていった。「それやったらたけちゃん、早い方がええんちゃう。50、60歳になって、ちょっと動いただけで腰痛いっていうような年代から行ったって、なんも出来へんよ。」

uploads▲ミニトマトの花

 

サラリーマンから、ミニトマト農家へ

最初は大島への移住を考えていた武士さんだったが、島暮らしで何ができるか現実的に考えた時に決めたのは小値賀島への移住だった。小値賀島には「小値賀町担い手公社」による新規就農の支援システムがあり、2年間の農業研修を受けることができるのだ。農業を魅力に感じていた武士さんは、夫婦で研修を受け、めでたく島暮らしをスタートさせた。「ずっとスーツ着て仕事してた人間でしょ。大阪の仲間には、『なんでまた今頃農業?アホちゃう』なんて言われてね。」仲の良い友人同士で盛り上がった光景を思い出したのか、目を細めた。

uploads▲野菜栽培や水稲のほか、高級牛となる牛の飼育の研修も

自らを「異端児」と称する武士さんは、研修後に生産組合には入らず独自に生産販売をすることにした。「どうして農業が衰退したんだろうって考えたときに、今ま でと同じやり方してたんじゃいかんなあって思って。今までの農業から逸脱したかったんです。営業やってたんで、こんな作物があってこんなおいしいよってのを、 告知して認知してもらって、直販の割合を増やしていこうって思ったんです。」

それに、と武士さんは続けた。「磯焼けって知ってます?わかめとか海藻がね、な くなっていくんですよ。そしたらそれをエサにするウニとかアワビとかも、生きていけなくてどんどん減ってくじゃないですか。魚も減ってくんですよね。そういう自然の連鎖が壊れてきてるのが、もしかしたらこの農業にあるんじゃないかって思うこともあって。こういう島ってインフラがなかなか整わないんで、雨が降って畑から肥料なり農薬が染み出たら、全部海に流れるんですよね。」

化学肥料は使わず、農薬も圧倒的に減らした。いい微生物を増やす「微生物農法」 で育てるとミニトマトが病気にもなりにくく、元気なんだそう。だが、有機肥料にすると収量も落ちる。収量減が、収入減になるのは避けたかった。なにより手をか けて育てたミニトマトだ。 「大阪の仲間も応援してくれて、おかげさまで今は直販が9割ですね。」

uploads▲小値賀は、粘土質でミネラル豊富な赤土

 

万全の体調で、パワフルに島暮らしをエンジョイ

由美さんは、縁もないこの島に移住して実際どうだったのだろう。 「テンションMAXですね。なにがそんなに楽しいのっていうくらい、まわりからある意味浮いてますね。」”浮いている”などという言葉にドキリとするが、武士さんの目は穏やかで優しい。きっとそんな由美さんのことを微笑ましく思っているのだ ろう。「漁師になってくれるんやったら、私は掘建て小屋で暮らしてもいいって言 うくらい、魚が異常に好きなんで、漁師の方とがっつりネットワーク作ってますよ。ヒラマサがあがったぞーとかって連絡もらってますね。」由美さんのちゃっかりした面も教えてくれた。

当の由美さんはというと、身体の変化を実感しているらしい。ミニトマトの収穫時期は、ミニトマトを毎日食べているおかげなのか血圧が下がるのだという。以前は朝食抜きで深夜帰宅という、健康と言いがたい生活を送っていた武士さんの体調にも変化が。夜中まで仕事のことを考えて眠れない日々はどこへやら。規則正しい生活になって不眠症も治ったのだという。「なんも考えんで身体動かしてるから、脳がつるつるやな」と、由美さんは楽しげにカラカラ笑った。「よく動いてよく眠 る」という由美さんの笑い声は軽やかで、夫婦でこんな風に笑い合いながら日々を 過ごすことが、なにより大切なことだろうと思わせる。

uploads▲りんたろうふぁ~むのミニトマト4色ミックス。 赤・黄色・オレンジの3色に加え、その年限定の1種類が届く。 今年は、ブラッディタイガーというシャキシャキとした歯ごたえの品種。

 

いちばんの大きな夢が叶ってしまったから

島に来た頃は、大阪人のノリが通じず困った場面もあったのだそう。 「ボケとツッコミってよく聞くでしょ。大阪ってそういう文化なんですよ。日常にあふれていて、それこそ息を吸うようにボケてしまうんで。ツッコミを期待して言った言葉が吸い込まれてしまうんで、いや嘘やでって言わないと真剣に受け止められてしまうんです。」

それでも、島に来てなにもかもがよかったと言う。「フェリーが波止場から出てく じゃないですか。それを港から見てる自分を意識するとき、ああ俺この島におんのやって実感しますね。それまでは甲板から離れてく島をずっと見てたから。」 島に移住するという少年時代からの大きな夢が叶った今、船を見送る度に、小値賀島でおいしいミニトマトを育てることへの熱意を改めて強くするのだという。いつの日か、小値賀島のことを大阪で知らない人間がいないくらいに「りんたろうふぁ~む」のミニトマトを届けていきたい、と。

uploads

取材先

りんたろうふぁ~む

facebook:https://www.facebook.com/rintaroufarm

清水美由紀
記事一覧へ
私が紹介しました

清水美由紀

清水美由紀フォトグラファー。自然豊かな松本で生まれ育ち、刻々と表情を変える光や季節の変化に魅せられる。物語を感じさせる情感ある写真のスタイルを得意とし、ライフスタイル系の媒体での撮影に加え、執筆やスタイリングも手がける。身近にあったクラフトに興味を持ち、全国の民芸を訪ねたzine「日日工芸」を制作。自分もまわりも環境にとっても齟齬のないヘルシーな暮らしを心がけている。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む