記事検索
HOME > 移住する > Uターン >
2016年4月11日 ベリーマッチとちぎ

誰もが地域を面白くすることができる 「NIPPA米」代表・田中潔さん

巴波川(うずまがわ)、与良川(よらがわ)、思川(おもいがわ)という3本の河川が合流する栃木市・新波(にっぱ)地区には、見渡すかぎりの肥沃な田園地帯が広がっている。田中潔さんは東京でカメラマンとして働いたのち、地元の新波地区にUターン。約400年続く農家の17代目として、この地に受け継がれた伝統や知恵を大切にしながら、無農薬・無化学肥料による米づくりに打ち込んでいる。

「農業を魅力的かつ、稼げる仕事にしていきたい!」

そう願う田中さんは、栃木のカフェや古道具店の店主たちと連携しながら、地域の魅力を発信するプロジェクトにも積極的に参加。農業、そして地域の新たな可能性を探るために、日々チャレンジを続けている。

400年にわたり受け継がれた、米づくりを守るために

田中さんが写真に興味を持ったのは、姉の結婚式を撮影したことがきっかけだった。そのとき撮った一枚の写真を、姉夫婦をはじめ多くの人がほめてくれた。大学受験に失敗し将来について悩んでいた田中さんにとって、周囲の言葉はひとすじの希望の光となった。

DSC_1615

「その写真は、本当にたまたま撮れた一枚でした。けれど、一瞬で勝負が決まる写真の魅力に、強くひかれたのを鮮明に覚えています。当時は農業を継ぐのが本当にイヤで、カメラマンになろうと家出同然で実家を飛び出したんです」

20歳で上京した田中さんは、写真スタジオに勤めたあと、アシスタントとして経験を積み独立。十数年間、カメラマンとして第一線でキャリアを重ねてきた。「実家に戻るつもりは、まったくなかった」という田中さんだが、いつも実家から送ってもらい食べていたお米が、じつは他人がつくっているものだと知ったとき、その心境に大きな変化が。

「父は、年齢を重ねるうちに手が回らなくなり、米づくりを業者に委託していたんです。そのことを聞いたとき、400年続く米農家が他人のつくったお米を食べていることに危機感を感じました。自分が米づくりを守らなければと、実家に戻る決意をしたんです」

DSC_1615

こうして2010年に地元に戻った田中さんは、栃木県内の農家のもとで有機栽培の基礎を学んだ。同時に、父親からも新波の土地に合った栽培方法など、多くのことを教わったという。

「昔、新波地区では洪水が多く、一面が水につかったこともあったそうです。それでも先祖がこの地を離れなかったのは、土地が豊かだったからにほかなりません。田中家には代々受け継がれてきた栽培の知恵や、粛々と続けられてきた自然を敬う風習などが息づいている。ぼくはこうした“土地の魅力”をもう一度 掘り起し、大切に受け継いでいきたい。それこそが、自分の役割だと思うんです」

 

農業を魅力的かつ、稼げる仕事にしていきたい!

DSC_1615

川が運んだ肥沃な土地に恵まれ、古くから「おいしい」と評判だった新波のお米。田中さんはこの地で、春には地元から出る“米ぬか”と“酒粕”でつくった有機質肥料を、秋には“米ぬか”や“もみ殻”を田んぼにまき、農薬や化学肥料を一切使うことなくコシヒカリを栽培している。また、肥料のもちをよくするために栃木県特産の“大谷石”の粉末を入れるなど、「土地ならではの味」を引き出すことを追及。こうして大切に育てたお米を、「NIPPA米(ニッパマイ)」 という新たなブランドとして販売している。

DSC_1615

「ぼくにとって、米づくりも写真の仕事も同じ“ものづくり”。その姿勢が変わることはありません。大切なのは『自分がいいと思うもの、おいしいと思えるお米をつくること』。写真表現で培った感性を生かしながら、自分だからこそできる新たな米づくりを、この新波から発信していきたいと考えています」

「NIPPA米」のファンは県内だけでなく首都圏にも多く、田中さんは直接「NIPPA米」を発送している。栃木市や宇都宮市にあるカフェや雑貨店、古道具店などでも「NIPPA米」を販売。益子の陶器市などのイベントにも積極的に出店し、「NIPPA米」でつくったおにぎりなどをお客さんに届けている。

DSC_1615

また、毎年、田植えと稲刈りの時期に開催している体験イベントには、県内外から多くの家族が参加。「自分で植えたもの、かかわったものを食べるのは本当に豊かなこと。暮らしや食生活を見つめ直す、きっかけにしてもらえたら」と田中さんは願う。

「お客さんから直接『おいしかった』、『子どもがNIPPA米ばかり食べています』などの声をいただいたとき、この道に進んで本当によかったと実感します。ぼくは、農業を魅力的で稼げる仕事にしていきたい。カフェや雑貨店でお米を販売したり、イベントに積極的に参加したりと新たなチャレンジを続け、自分自身がその先駆けになることで、新波で農業をやってみたい、住んでみたいという人が増えていったら最高ですね!」

 

地域を面白くできる可能性が、誰にでも

DSC_1615

現在、田中さんは、栃木市の中心部にある古道具と雑貨の店「MORO craft(モロクラフト)」の店主や、シェアスペース「ぽたり」のオーナーなど、同世代、若い世代の人たちと一緒に「ニュートチギ」という団体を設立。合併により広くなった栃木市全域で、つくる人・商う人・使う人のつながりを育みながら、新たな価値観で地域を見つめ直し、暮らしの楽しみや魅力を発信していきたいと考えている。

「地元に戻って感じたのは、つくり手やショップオーナーなど、身近なところにたくさん魅力的な人がいるということ。栃木市内ではまさに今、つくる人や商う人の連携が生まれ、新たなチャレンジが始まったばかりです。だからこそ、やる気と思いさえあれば、誰もが地域を面白くすることができる。そんな可能性にあふれているところが、このエリアの大きな魅力ですね」

DSC_1615

昨年、田中さんは初めて酒米の栽培に挑戦。地域の酒蔵とコラボして「新波」という酒をつくり、地元の神社に奉納することを目ざしている。また、自分の田んぼの土とワラを焼いた釉薬を使い「めし椀」をつくるなど、今後は県内の作家と連携しながら「お米にまつわるさまざまなもの」をつくっていきたいという。
新波の地で田中さんが起こす新たな波は、きっとこれからも多くの人を巻き込み、さらに大きく広がっていくに違いない。

取材先

NIPPA米 代表・田中潔(たなか きよし)さん

栃木市新波地区で約400年続く農家の17代目。東京で十数年間、カメラマンとして働いたのち、実家の米づくりを受け継ぐために帰郷。地元から出る米ぬかや酒粕でつくった有機肥料、大谷石の粉末などを使い、「土地の味」を引き出すことを追求。

また、カフェや雑貨店でお米を販売したり、陶器市などのイベントに出店したりするなど、農業をオシャレな仕事にすることを目ざして新たなチャレンジを続けている。

一方、栃木市の地域の魅力を掘り起し、発信する活動にも参加。カメラマンとしての仕事も継続するなど、多方面で活躍している。

●NIPPA米 http://www.nippamai.com/

ベリーマッチとちぎ
記事一覧へ
私が紹介しました

ベリーマッチとちぎ

ベリーマッチとちぎあなたにぴったりの地域で、暮らし方で、関わり方で、豊かに暮らすための情報を発信する栃木県移住・定住促進サイト「ベリーマッチとちぎ」

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む