父と娘。親子で秋田に魅せられた
和賀 郷さんは東京出身の都会っ子。お父さんの勤務する会社が秋田県八郎潟町に工場を出したことがきっかけで、子どもの頃から年に5~6回、秋田に通うようになった。
すっかり秋田に惚れこんでしまったお父さんは、『俺は秋田の広報部長だ』と語り、頻繁に東京から人を連れてきては、秋田をアピールしていたという。
「秋田県は縦に長い県で、白神山地、奥羽山脈、鳥海山と、山と海に囲まれた地形です。北に米代川、南に雄物川と2つの大きな川があって、その川伝いに文化が発達したので、県北と県南では文化が全く違うんですよ。きりたんぽは県北の文化で、県南で食べたいと言うと怒られます(笑)。
今私が拠点にしている横手市は、雄物川によって栄えてきた地域で、北前船からきた昆布や身欠きにしんが、この川の水運を使って運ばれたといわれています。そういった経緯もあって、このあたりはとても豊かで、秋田の中でもおおらかな人が多いように感じます。明日の事を考えるより今日を楽しくという気質ですね。また、秋田県は飢饉がなくて、昔から米に困らなかったとも言われています。いぶりがっこもお米で漬けるんですよ。食べるのではなく、漬物にするくらいお米があったということです。」
そんな豊かな秋田に魅せられた郷さんとお父さん。「秋田に恩返しがしたい」と、2007年には秋田の仲間とともに、農家から直接お米を購入できる仕組みを考え「株式会社こめたび」を立ち上げた。東京に住んでいた郷さんは、応援団として一口株主になり、東京での販売やプロモーションに携わっていたが、2009年、東京に居ながら、社長を引き継ぐこととなった。
限界集落にハイヒールで。当初は農家の気持ちも分からなかった
社長を引き継いだ当初、郷さんは東京で販売することの方が大事だと考え、自身の拠点は東京に置いて、農家の所には数ヶ月に一度しか訪れていなかったという。電話やファックスで農家に注文を伝えてお米を送ってもらっていたが、農家とのコミュニケーション不足もあり、すぐに不満が噴出した。「こめたび」の顧客は、単価は少々高くても、美味しいもの・安全なものを求める、都心に住む単身女性やシニア夫婦が中心。「2kg」などの少量の注文が多かったため、農家に、小分けにするなど手間が発生していたのだ。
「当時は、農家の気持ちもよく理解できていないまま、とにかくビジネスが成り立つようにとばかり考えていました。きちんとした格好でと思い、限界集落にもスーツにハイヒールで通っていました。今思うと、知識もなく、伝え方も知らないままに話していたと思います。」
そんな少しほろ苦い経験の後、農家の元にも頻繁に訪れるようになった郷さんは、一緒に農作業や梱包作業をするうちに、農家とも打ち解けていくことができた。
「だんだん農家、また農家が作るお米に魅了されていきました。なんだこの世界、面白い!って。気づくと月に1週間、2週間と通うようになり、だんだん、自分の中で秋田の比重が多くなってきたんです。」
“あきたこまち”ではなく、農家一人一人を知ってほしい
「秋田であきたこまちを食べるととてもおいしいのですが、東京で食べるとそうでもないんです。通常の流通では、エリアごとに1つのタンクにその地区の農家のお米が集約されるので、1軒の農家さんが頑張っておいしいお米を作っても、結局は混ざってしまい、味はコントロールできません。」
「こめたび」では現在、主に4軒の農家と取引きをしており、どの農家の米を買うのかは、自分で選択することができる。
「こめたび」の「たび」には、『都会に住むお客さんが農家を訪ねて旅をする』という意味がある。実際に秋田に足を運んで、田植えや稲刈りなどの農作業を体験することで、顔が見える関係になり、より一層ファンになってもらうことがねらいだ。旅の中でも、最も喜ばれるのが、農家と一緒に食べる朝ごはんだ。
「農家にはいつも食べている朝ごはんを用意してもらいます。最初は東京の人が来るからと、ホテルの朝食みたいな、パンと、これまで買ったことのないバターを用意してくれたりもしたのですが、そうではなく、いつも食べている朝ごはんをお願いしています。お米って作った所の水で炊くのが一番おいしいんですよ。味噌も”がっこ”も自家製。鶏を飼っている家では生みたての卵も出してもらって、都会では絶対に味わうことができない贅沢な朝ごはんなんです!」
10人の参加者に100人の地元サポーターが集まった雪かきツアー
横手は秋田県内でも雪の多い地域。その多さに驚いた郷さんが企画したのが「雪かきで秋田美人になるツアー」。
雪かきの動きを、二の腕やウエストに効くとフィットネスと捉え、さらにお酒や漬物など、秋田の発酵食品の文化を体験してもらい、中からも外からも秋田美人になろうという企画だ。郷さんが、車の免許合宿で横手に滞在していた際にお世話になった居酒屋「日本海」の常連さんが協力してくれた。
「私は都会から女性を連れてくるから、雪かきを教えてくれる男性を呼んでけれって話をしたら、10人の女性に対して100人男性が集まっちゃって(笑)。開催したのは横手市の山奥にある限界集落で、住んでいるのは46人。そこに110人集まったので軽いパニックでした(笑)。それからコミュニティが一気に広がり、色々なところで助けてもらうようになりました。」
田んぼでの結婚式。そして蔵のある古民家との出会い
2014年には、居酒屋「日本海」で出会った智之さんと結婚し、本格的に横手へ移住。
結婚式場はなんと田んぼの真ん中!麦わら帽子にオーバーオール、長靴という出で立ちで、トラクターに乗って稲刈りしながら入場。田んぼに赤じゅうたんを引いて作ったバージンロードを歩くという、実にユニークな式だった。
「結婚前は首藤という名字だったので、「しゅとうきょう」=「首都東京」って読めるねって話をしていたんですが、秋田で結婚して「わがきょう」=「我が故郷」になりました。」
新居は築100年の民家。かつて地元の高校の校長先生が住んでいた家で、20年近く空き家になっていたそう。内見すると、なんと家の中に蔵があった。雪が多い横手では雪害から蔵を守るため、外側を建物で覆う「内蔵」造りの伝統がある。横手市増田町ではその伝統的な内蔵と街並みが評価され、2013年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。家の中は荒れ放題だったが、この蔵に一目ぼれして、ここにすると決めた。
2015年11月、半年間の改修を経て、食と文化の交流拠点「よこてのわがや」を開いた。
横手にある5蔵の酒蔵の日本酒に特化し、県南を中心にした食材を楽しめる。平日は地元の若い人が集まれる場所に、土日は都会からのツアーの拠点にしたいと考えている。地元の酒蔵や農家と相談してイベントを企画したり、ときには飲みながら秋田と横手の未来について熱く議論する夜もある。
横手でチャレンジする人を応援したい
郷さんは秋田県の「田舎発、事業創出プログラム(通称ドチャベン・アクセラレーター)」にも携わり、横手市に移住し起業する人たちのサポートも行っている。2015年に行われたこのプログラムは、五城目町と横手市で地元の資源を使って起業するビジネスプランを対象としたコンテストを行い、入賞した上位3組ずつのプランを、実際に移住、起業するまでサポートするというもの。横手側の事務局を郷さんが務め、現在入賞した3組4名の事業開始をサポートしているところだ。
「東京で呼びかけたら説明会に130人集まったんです。それくらい田舎での暮らし方や働き方に興味が向いているのだと思いました。そして、横手には、そんな方たちを歓迎する環境が揃っています。移住しても仕事がないとか、手に職がないとやりたい仕事ができないといった問題があるので、将来的には『よこてのわがや』を、そういった方々のサポートをする、インキュベーションオフィス、コワーキングスペースにしていきたいなと考えています。地元の銀行との間をとりもったり、農産物をテーマに事業をしたい方には、地元で積極的な取り組みをしている農家を紹介したり…これまで自分がここで作り上げてきた関係性で、うまくコーディネートしていけたらいいですね」
「横手市は8市町村が合併しているのですが、地区ごとにそれぞれ特色があるので、それぞれの特産品を持ち寄ったマルシェを開いたり、シャッター街になっている商店街に移住者が越して来たら面白くなるんじゃないかなど、やりたいことは沢山あります!歴史がある街なので掘れば掘るほど、いろいろと出てくるんですね。その中で人とのつながりができて、また新しいつながりを作っていけたらいいなと思います。」
東京と秋田を行ったり来たりする中で新しいつながりをつくり、自らも横手に移住した郷さん。「よこてのわがや」を拠点に、人と人をつなげる活動は、ますます広がっていきそうだ。