芸術を核に、人の力が集う“渦”を 幾何楽堂・小坂憲正さん、朋子さん

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観光客で賑わう日光の市街地を離れ、山道を車でのぼること15分ほど。霧降高原の美しい森に抱かれた地に、小坂憲正さん、朋子さん夫妻の工房兼住まいはある。

「幾何楽堂」と名づけられたこの建物は、3年の歳月をかけて憲正さんが自らの手で建てたものだ。ここを拠点に、憲正さんは天然木や流木をいかした扉の制作や、扉から始まる家づくりを、朋子さんは織物や木削りの制作を手がけている。

2015年6月、二人は作り手などの日光の仲間たちとともに「キリフリ谷の藝術祭」をスタートした。今後は幾何楽堂の前に広がる谷に舞台をつくり、芸術祭で演劇を開催するのが二人の夢。芸術という一つの目的のために多くの人の力が集う、そんな“渦”を自分たちの手で広げていきたいと考えている。

目ざすのは、土地に根ざした家

「シルバーパインを切り出してくれる山主が見つかったぞ!」

フィンランドからの電話の主は、材木の輸入を手がける知人だった。シルバーパインとは、厳しい自然のなかで立ち枯れたまま、数百年の年月を重ねた木。収縮がほとんどなく、ログビルダーの間では「幻の木」と呼ばれている。

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「いつかシルバーパインで家を建てたい」と周囲に話していた小坂憲正さんは、先立つものはなかったが購入を決意した。その後、融資してくれる銀行を見つけ、美しい自然に魅了された霧降高原の土地を購入。3年の歳月をかけて、2004年に「幾何楽堂」を完成させた。

樹齢400年から600年のシルバーパインを重ねたログハウスの構造と、昔ながらの日本建築のよさを融合することで、約40畳のメインルームが実現できた。その大きな窓からは、霧降の美しい森が一望できる。憲正さんが家づくりで何よりも大切にしているのは、周囲の空間を生かした建物をつくること。それを象徴するのが、幾何楽堂の大きな玄関扉の横に掲げられた“渦”のマークだ。

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「宇宙がそうであるように、渦と空間は物を生み出す原点であり、同じように家の周りの周辺から生まれてくるイメージが自分の中にはあるんだ。住む人が大切に選んだ土地の力をもらいながら、空間にとけこみ、地に根をはったような家をつくっていきたい」

 

つくることが自信になり、前に進んでいける

北海道で生まれ育った憲正さんは、神奈川の大学で建築を学んだあと、手に職をつけたいと鳶の道へ。厚木や横須賀で働き30歳を迎え、これからの人生について考えたとき、もともと興味のあったログハウスへの思いがよみがえってきた。日光の小来川(おころがわ)に、ログハウスの神様といわれるB・アラン・マッキーさんがいることを知り、彼のもとを訪ねログビルディングを学んだ。

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「木という自然の恵みを、頂いて家をつくる。自分でつくり上げることは、生きていく上で大きな自身に繋がる。細かいことは気にせず、まずはつくることが大切だというマッキーさんの考えにすごくひかれました。マッキーさんは『斧で家をつくるのが一番好きだ』と聞いて、自分も最初に建てる家は斧でつくろうと思ったんだ」

神奈川に戻り、斧と手道具のみでログハウスを建てたのは1998年のこと。自らの手で家をつくるうちに、どんどん木の仕事に魅了されていった。日光に移住したのは、何のしがらみのない土地で、ゼロからスタートを切りたいと思ったからだ。

「“日の光”って書く、地名にもひかれてね。それ以外、本当に特別な理由はないんだ」

 

扉も建物も、体にいい自然素材で

日光に移り住んでから、便利屋、石屋を経て、ログハウスや日本の在来建築を手がける地元の工務店へ。そこで7年間働きながら、木の家づくりを学んだ。

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「夜、仕事が終わってからも、余った材料を使わせてもらって、犬小屋や棚などをひたすらつくっていました。木と木を抜けないように組むにはどうしたらいいかなど悩みに悩んで、自分の頭で考えたからこそ、基本が身についたと思うんだ」

そんなとき、霧降高原の観光施設から扉づくりを頼まれる。

「初めて木を使って扉をつくらせてもらったとき、扉によって建物の印象が大きく変わることを実感しました。当時はもう、集成材やビニールクロスでつくる家が主流になっていたけど、木の扉をつくったことで、その先の空間も木や漆喰などの自然素材でつくりたいという思いが大きくなっていったんだ」

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「扉から始まる家づくり」。その思いを形にしたのが幾何楽堂だ。完成した2年後の2006年に憲正さんは独立。幾何楽堂を屋号に、扉の制作や家づくりをスタートした。

 

住む人が、参加できる家づくりを

現在、ログハウスの聖地として知られるようになった小来川。この地で育った杉を使い、ログハウスと在来工法を組み合わせることで開放的な空間を実現したそば屋「山帰来」をはじめ、憲正さんは数多くの住まいや店舗を手がけてきた。

南三陸町歌津地区の集会場に携わったのは、震災後、継続的にボランティアに訪れたことで、地元の人たちとの深い縁が生まれたことがきっかけだった。

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「あの震災で、自然の力の大きさを痛感してね。地元の人たちと話し合って、今だからこそ“原点”に立ち返ろうと、竪穴式住居を建てることにしたんだ」

大切にしたのは、自分たちの手でつくること。地元の人や日光の仲間たち、ボランティアに訪れた人たちとともに丸太の皮をむくところからはじまり、手堀りて直径9m、深さ1mの大きな穴を掘った。私以外は皆、素人であるが、はじめて持つノミやのこぎりを手にして木を組み上げていった。こうして、限りなく円に近い24角形の竪穴式住居が完成した。

「大地にかえる素材を用い、自分たちの力で建てた自然に調和するこの建物は、原点でありながら、これから進むべき建物の形でもあると思うんだ。じつは、竪穴式住居はエアコンがなくても、夏涼しくて冬暖かい。これからも体にいい素材を使って環境に寄り添う建物を、そこに住む人たちと一緒につくっていきたいね」

 

厳しくも豊かな自然が、たくさんのヒントをくれる

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霧降高原に暮らして13年。この地の魅力は、自然の厳しさだと憲正さんはいう。

「険しい山道をのぼるからこそ、頂上にたどり着いたとき大きな感動があるように、厳しい自然のなかに暮らすからこそ、本当の喜びが見えてくる。標高差の大きい、厳しくも豊かな霧降の自然は、たくさんのヒントを与えてくれる。ここに身を置くことで、一歩先に進んだものづくりができるのではないかって思っているんだ」

2015年6月、憲正さんと朋子さんは仲間の作り手たちとともに「キリフリ谷の藝術祭」を開催した。今後は幾何楽堂の前に広がる谷に自らの手で舞台をつくり、劇団四季などの出身俳優が活躍する「心魂プロジェクト」とともに、芸術祭で演劇を開催するのが二人の夢だ。

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憲正さん:「障害を持った子どもたちや両親に、ひとすじの喜びを届ける心魂プロジェクトの舞台を観たとき胸が熱くなって、この人たちと一緒に何かをつくりたいと思ったんだ。誰かと一緒に笑ったり泣いたり、感動を共有できる舞台を核に、いろんな人の力が集う“渦”をここから巻き起こしていきたい」

朋子さん:「仲間と一つのことに一生懸命に立ち向かうとき、自分が想像もしなかった力が生まれてきます。そのとき感動は、生きる力になる。そう被災地で実感しました。多くの人と一緒に芸術祭をつくり上げていくことで、感動が生み出す力の輪を、霧降の谷から広げていけたら嬉しいですね」

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取材先

幾何楽堂・小坂憲正さん、朋子さん

小坂憲正さん
北海道出身。神奈川の大学で建築を学んだのち、鳶の道へ。30歳のとき日光でB・アラン・マッキー氏と出会い、ログビルディングを学んだことを機に移住。便利屋、石屋を経て、建設会社で木の家づくりを学ぶ。地元観光施設の扉づくりを頼まれたのをきっかけに、扉の制作を開始。2004年に「幾何楽堂」を霧降高原に建築。幾何楽堂という屋号で2006年に独立。扉の制作や、扉から始まる家づくりを手がける。

小坂朋子さん
群馬県出身。東京のファッション業界で働いたのち、1年間インドへ。帰国したその日に、知人に群馬まで送ってもらう途中、たまたまイベントを開催していた幾何楽堂に立ち寄り、憲正さんと出会う。現在、織物や木削りを手がけている。
●幾何楽堂:http://www.kikagakudo.com/index.html


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