夏場に出荷できることで高収益を生んだ「野辺地葉つきこかぶ」
野辺地町(のへじまち)は江戸時代から明治時代にかけて、北前船(きたまえぶね)の寄港地として栄えた交通の要衝です。北前船とは、北海道を出発して各地に寄港し、日本海や瀬戸内海を経由して大阪に荷物を運んだ商船のこと。野辺地の港からは、肥料となるイワシのかすや大豆を大阪へ届け、大阪からは茶の湯や上方文化を青森に持ち帰ったと言われています。
野辺地町は東北地方特有の季節風「やませ」の影響で夏でも冷涼な気候が特徴ですが、これを活かし、1982年頃からこかぶの栽培が始まりました。「野辺地葉つきこかぶ」の名称は、旧野辺地町農協時代の関係者により、2012年に地域団体商標に登録されており、産地としては野辺地町と隣接する東北町との2地域にまたがっています。
話を聞きにお会いしたのは、JAゆうき青森・野辺地支所長の坂本輝雄さん、生産者であるJAゆうき青森理事の村山淳一さん、同じくこかぶ部会長の田村敬一さん、そして野辺地町移住コーディネーターを務める阿部博一さんです。まずはこかぶが特産品となるまでの経緯について伺いました。
坂本支所長:「昭和50年代、冷夏被害で農作物が打撃を受けたことがありました。それを機に、狭い土地でも高い生産性で作付できる農作物を求めて試行錯誤した結果、こかぶにたどり着きました。こかぶが高収益を維持できたのは、関東との食習慣の違いがあります。このあたりはもともとかぶはあまり食べませんが、関東ではよく食べられる。ですが夏場にかぶを出荷できる地域がなかった。野辺地町の最大の強みは夏場に出荷できることなんです。」
村山さん:「こかぶは少々の悪天候にも強くて、野辺地の気候にも合っています。冬になると雪が降るため畑を休ませることができるのも、千葉や埼玉といったほかの産地との大きな違い。これはこかぶにもいいこと。今は野辺地、東北町をあわせて、こかぶで約8億円の売り上げをあげていますが支えているのは42戸の生産者です。それを平均すると1農家あたり約2,000万円の収入になります。」
この地域特有の夏場でも冷涼な気候を生かして、特産品となった野辺地葉つきこかぶ。全国各地からバトンを受け渡されるように、同じ農作物が季節をつないで出荷されることを「産地間リレー」といいますが、このリレーのすき間を埋めることができたことが、高収入を叶えた理由でした。
生でがぶり!イメージを覆す「野辺地葉つきこかぶ」の実力
せっかくなので、こかぶを試食させていただけることに。村山さん曰く「ちょうどこの時間は光合成を終えて、一番水分を蓄えている時間。美味しいよ」。期待が膨らみます。
みかんを剥くようにしてむき出しになったこかぶは真っ白で美しく、ひとめでみずみずしさが伝わります。その場でかぶりついたところ、柔らかい食感に、ほんのりと甘くのどを潤すジューシーな味わいは果物のよう。「絶品」と言われる所以がよく分かります。
生でかぶを食べることはイタリアンレストランなどで定番の前菜・バーニャカウダで経験があるかと思いますが、この口の中で広がるみずみずしさは、何もつけずに食べてほしい! リレーのすき間を埋めることができたという理由だけではなく、こかぶ自体の美味しさも人気の理由であることは間違いなさそうです。
ところが現在問題となっているのが、後継者不足です。
田村さん:「販売量は横ばいが続いていますが、生産者は減ってきているんです。さらに、生産者だけでなく、こかぶを洗う、選別するといった作業に必要な地域の人手も減ってきています。」
こかぶ栽培の現場をもう少し詳しく探ってみました。
地域コミュニティを支えたい。こかぶ農家の想い
こかぶは種をまいてから35日から50日で収穫できます。農家はこのサイクルと気温、天候等を考慮し、3月から準備して種をまき、6月から10月を収穫時期とします。11月は翌年に向けて畑や農機具などのメンテナンスにあて、12月から2月までの3か月間は長期休暇にはいります。
収穫時期になると深夜0時には起床し、1時から17時まで食事や昼寝を挟みながら14時間近く働きます。ピークは8月~10月の約100日間。平均年収2,000万円の裏側にはこういったライフスタイルがあります。ピーク時の生活だけ見ると過酷に思えますが、実際に農作業に従事する皆さんはどのように感じているのでしょうか。
村山さん:「昔は1日100ケースくらいの出荷だったため、まだ朝4時からの作業で楽でした。今はなかなかないけれど、育てている作物の違う農家が、自分が忙しくない時期には手伝いにきてくれる習慣もありました。その後、ブランド化に取り組んで、こかぶの需要も増えていくにつれて、面積を増やしたり、出荷量を増やしたりして、期待に応えたいとやっていくうちに、どんどん朝が早くなっていきました。」
坂本支所長:「この生活を大変だと思うかどうかはその人の考え方次第だと思います。目標があればやりがいにもなる。それに、こかぶは決してひとりだけでやるものではありません。地域で支えあってやっていける。」
田村さん:「こかぶを洗う作業は座ってできるので、高齢者の方がパートとして手伝ってくれて、それで孫に何かを買ってあげたとか、生きがいになっている人もいます。こういった作業が、地域コミュニティを支えているというのもあります。なんとか今後も現状を維持していけたらと思っています。」
昔に比べてブランド化され、取引の量も大幅に増えたため作業量もだんだんと増えていきます。その半面、地域にも収入や仕事という形で還元されていました。こかぶ農家は地域を支えるだけでなく、地域にも支えられて成り立っているのです。だからこそ担い手を増やそうと懸命です。
今回募集している人材は地域おこし協力隊の制度を利用し、こかぶ栽培に従事、農家の支援も行っていくことになります。
2014年に東京から野辺地町に移住し、野辺地町地域おこし協力隊を経て現職の阿部さんが業務内容や受け入れについて話します。
阿部さん:「町役場と町就農移住推進協議会で制度設計の最中ですが、来年度は最大2組の方にこかぶ農家の後継者候補として移り住んでいただき、協力隊の任期中は生産者のもとで実際に働きながら学んでもらいます。その後、その後、独立就農していただくため、1.5町歩(約4,500坪)の畑を貸し出すという準備を進めています。」
約4,500坪というと、中規模のサッカーコート2面分に相当します。この面積に植えたこかぶをひとりで扱うのは不可能。だからこそ田村さんの言うように、家族や地域の方の協力も不可欠になってきます。
坂本支所長:「農家は体が資本なので元気で体力がある人がいいですが、こかぶに関しては栽培マニュアルも整っていますし、難しいものではありません。」
田村さん:「単身の方も、家族でいらっしゃる方も歓迎です。」
村山さん:「一生懸命にやってくれる人なら、みんな手伝いますから。安心して来てください。」と受け入れる皆さんも支援を惜しまず、一緒に歩んでくれそうです。
一見、2000万円という高収入に目を向けがちですが、野辺地町やこかぶ農家の一番の良さはこの受け入れ側の頼もしさかもしれません。
また、新しく入ってくる協力隊には、生産以外にも期待していることがあるそうです。
阿部さん:「首都圏に出荷してもスーパーなどの店頭では『青森県産かぶ』としか表記されないのが本当に悔しいんですよ。」
後継者不足の解消と並行し、「野辺地葉つきこかぶ」の認知度向上も課題の一つ。新たな目線でこかぶをさらに広めていくことも役割の一つになりそうです。
そんな中、若手による新たな取り組みについても聞くことができました。
村山さんの20代の息子さんがUターンしてこかぶ農家となり、今では親子それぞれに畑を持ち、売り上げも別にして独立への足固めに邁進中とのこと。さらに、同じく20代の娘さんは、こかぶを使ったロールケーキの商品化に取り組んでいるそうです。
村山さん:「東京でパティシエの修行をしてきた娘に、野辺地にお土産になるようなものがほしいと相談したんです。そうしたらうちのこかぶを使って『かぶろーる』という名前でロールケーキをつくってくれました。オーダー専門のケーキ屋ですが店舗もあります。いろんな方にこかぶを食べてもらいたいですね。」
若い世代のこういった動きは、「野辺地葉つきこかぶ」の認知度アップにもつながり、人が人を呼ぶはじめの一歩にもなります。今後の行方にも注目です。
一見過酷に思える農作業ですが、ひとりでできる量ではないからこそ、地域の助けを借り、地域コミュニティの一員としてこの地に暮らすことができそうです。何より、お話を伺った皆さんに悲壮な感じは全くなく、とても頼もしい方々ばかり。かぶのイメージを覆すようなブランドこかぶが支える地域とコミュニティに飛び込んでみませんか?