東日本大震災が、都会での暮らしを見直すきっかけに
農家アーティストとして活動する齋藤瑠璃子さんは、秋田県仙北市出身の1984年生まれ。高校卒業後、多摩美術大学の絵画学科に進学しました。実家は祖父の代から続く専業農家で、齋藤さんが継いで3代目。現在は、日中は農作業、夜は創作活動という日々を送っています。
「農業をちゃんとやりたいなと思ったのは大学4年の学校祭の時です。実家から取り寄せた野菜を販売していたら、『こんな大きな栗は見たことがない』『干ししいたけが立派!』と好評でした。それまで分かっていなかったわけではないですが、改めて外から評価されたことで、実家の作物の素晴らしさを自覚しました。」
折しも齋藤さんが大学を卒業した当時は、首都圏を中心に農家の後継ぎが集う「こせがれネットワーク」というコミュニティが発足した頃でもあります。そこに顔を出すようになって影響を受けた齋藤さんは、大学卒業後も仕事と創作活動を続けながら、実家から取り寄せた野菜を都内のマルシェで販売することにしました。
「秋田出身者が集まるコミュニティ『WE LOVE AKITA』とも接点ができて、そこで知り合った面々と、週末に、青山ファーマーズマーケットなどで販売していました。絵も秋田をテーマにすることが多かったですし、地元が好きだったんでしょうね。いつかは秋田に帰ると周囲に話していましたが、人とつながれたことで帰りたい気持ちが加速した感じです。」
齋藤さんは姉妹でお姉さんがいますが、既に嫁いで家を出ていました。両親から跡を継いでほしいと頼まれたことはなかったそうですが、秋田に戻る「いつか」を考えさせられる大きなきっかけがありました。
「2011年3月の東日本大震災が大きいです。神奈川にいたのですが、その時の都会のパニックぶりに不安を感じました。仮にそういった災害が起きた時でも、実家だったら困ることは石油がないくらいです。農家ですから食料には困らないですし、水もありますからね。田舎のほうが不安が少なくて、生活するには楽だなと思いました。」
時を同じくして、祖母の介護や父親の体調不良など家族の健康状態の悪化も重なった齋藤家。母も疲労で体調を崩すことが多いと知った齋藤さんは、実家に戻ることを決意しました。
冷静な視点とそのキャラクターを活かして、齋藤さんが取り組んでいること
齋藤さんは実家に戻ると、両親から農業について学びます。祖父の代から続く農家でしたが、父親も若い頃は東京で生活し、祖父の体調不良をきっかけに戻ってきた人でした。それもあってか、農協出荷に頼らない販路開拓に取り組み、今でも大手企業の定期通販や業務用卸、契約栽培など、齋藤農園は独自の販路を持っています。
「現在の販路の8割は父の代から続くものです。残りは自分で始めた売り方ですが、全部を業務用にするのではなく、自社通販や直売所での販売方法を絶やさないのは、お客様の声からニーズをつかむことができるから。そうでないと、何のために作っているのか感覚が鈍ってしまいます。」
「最近はルタバカというかぶも作っていますが、加熱するとサツマイモのように甘くなります。秋田の人は優しくて、こういった変わったものをつくっていると、『あそこに売ってみたらどうか』と紹介してくれるんです。珍しい野菜は生産体制を維持するのも難しくて、長く継続できない生産者も多いらしいので、ニーズがあると分かれば私はがんばって続けていこうと思っています。」
新しい野菜は「できるから作る」のではなく、売り先を見極めて作付けを試みるため、齋藤さんの野菜は少量でも価値があります。冷静なマーケティングの視点を持っているだけでなく、人とのコミュニケーションも得意なので、周囲を巻き込んで様々なことに取り組んでいます。
「秋田には、東京でカメラマンの仕事をしていたとか、絵や陶芸をやっていたという方も戻ってきていて、一緒に展示会をすることもあります。農家とかアーティストとか美術のジャンルとか、そういった垣根がないので面白い展示ができますね。東京だと、写真とか絵とかジャンル分けが当たり前ですが、秋田にいるとそのあたりは全く気にならないです。」
齋藤さんが垣根なく取り組んでいることはほかにもあり、若手農家として直売会の運営にも携わっています。
「毎月第3土曜日には仙北市角館町の町家館前を会場にした『町家マルシェ』をやっています。きっかけはここに勤めていた知人から声をかけられたことです。旬の野菜や加工品などを販売していますが、隣の大仙市からも出店者がいて、誰かが誰かを呼んでくるいい連鎖で、メンバーは大体5~10名くらい集まっています。」
Aターンを考えているなら相談してほしい!
秋田県は、「AKITA」と「ALL」の頭文字「A」をかけて、UIJターンの全てをひっくるめて「Aターン」と称しています。Aターンを考えている方にメッセージをもらいました。
「ここは田舎暮らしをしたい人にうってつけの場所です。私の場合は美術用品がすぐに手に入らないというのが少し不便なくらいで、ほかは何も困りません。夜は創作活動といっても22時頃には就寝しますし、自然に身を任せた暮らしを送っています。お金を稼ぐよりは、楽しく人間らしい生活を送りたいという方に向いていると思います。近所には、秋田県出身でもないのに、たまたま仕事でつながりがあったというだけで、横浜から移住してきた60代の夫婦もいらっしゃいます。」
齋藤さんはUターンですが、秋田県出身かどうかは関係なく、Aターンを考えている方に向けて、こんなことも話してくれました。
「震災きっかけや子育ての環境を考えて秋田に戻ってきた方は私のまわりにもけっこういます。夫婦でUターンもいれば、片方はIターンという場合もあります。最近は、秋田県出身ではないけれども祖父母が秋田在住ということで移り住む『孫ターン』の人もいます。Aターンを考えていて困ったことがあれば、ぜひ私に相談してほしいです。いろいろな人につなげることができますよ!」
最近は自治体が独自に、移住コーディネーターを配置したり、移住センターといった拠点整備に動き出したりすることも増えてきましたが、個人でここまで秋田への移住をサポートしたいと言い切ってくれる方はなかなかいません。Aターンを考えている方、迷っている方はぜひコンタクトしてみてください。
最後に、農家としてもアーティストとしても充実した日々を送る齋藤さんに、今後やりたいことについて伺いました。
「仕事と創作という2足のわらじは、都会にいた頃と変わらないですし、私にとっては農業も創作もライフワーク。実家に戻ってきてすぐの頃は父が亡くなって、しばらくは農業にかかりきりの時期もありましたが、翌年からは創作活動も復活させました。絵も農業も一生続けていきたいです。発表の場としては、年に2回は何らかの展示会に出展していきたいと思っています。仙北市上桧木内地区で紙風船上げという伝統的行事があるのですが、それも続けて参加していきたいですね。」
取材当日は、雪がちらちらと舞う中で、齋藤さんの畑とアトリエのどちらも見させていただきました。畑では農家として、アトリエではアーティストとして、2つの顔を見せる齋藤さんでしたが、どちらの時も生き生きとした表情であったことが印象的でした。農業とアート、どちらも無理なく自分のスタイルで取り組むことが充実したライフスタイルの秘訣なのかもしれません。
(文 藤野里美/株式会社キミドリ)