料理の勉強の為に上京
千葉県旭市で「Kitchen Tsunagu」を経営する豊田維(とよだつなぐ)さんはこのまちの出身。お父様が旭市内でレストランを経営していた影響もあり、子どもの頃から料理人に憧れていた豊田さんは高校卒業後、料理の勉強のために東京の辻調理師専門学校へ進学します。
「当時は早く高校卒業して家を出たい、東京に行きたいと思っていました。」
進学した学校は料理実習に特化した厳しい学校で、料理のノウハウを徹底的に叩き込まれたと言います。
卒業後は東京・恵比寿にある「ウェスティンホテル東京」の調理部門に入社。初めはホテル1階のカフェからスタートでしたが、コツコツと経験を積み、4年後に念願だった最上階のフレンチレストランの厨房に立ちました。
「フレンチではかなり良いものを見せてもらいました。先輩方はすごい経歴の方ばかり。職場はほぼ日本語を話さない張り詰めた空気があり、本物を見た感じでした。」
そんな時、お世話になっていた職場の先輩が独立し店を始めることになり、豊田さんにも声がかかります。意気投合した豊田さんもホテルを離れることになりました。豊田さんが25歳の時でした。
ホテルを退職後、新しい店の物件探しなどをしていた豊田さんですが、ある日事態は急変します。
「融資の話が崩れてしまい先輩の独立の話がダメになってしまいました。もちろん仕事はない…、どうしよう、って。」
小さな名店で料理長に抜擢。料理の道標を探す日々
その後、独立した先輩のつてで、フランス料理店を紹介してもらい事なきを得た豊田さん。務めることになったお店は西麻布にある看板も出さない20席ほどの小さな店だったそうです。
「私の知らない世界でした。店内は大人の世界だし、看板も出さないのに賑わっているし、メニュー単価も高い。何でやっていけるんだろう?と思いました。」
豊田さんは当時のことを振り返ります。
「初日からまかないを作ったのですが、ズダボロにされました。これがまかないのつもり?お前がホテルでやってきたことは、この小さな店では役に立たない!と言われました。ショックでしたね。」
料理の自信を無くし落ち込んでいた豊田さん。そんな時に店の社長から信じられない言葉を投げかけられます。
「料理長をやってみないか?今日からお前が店のトップだから、そう言われました。」
急な辞令に戸惑う間も無く25品ものメニュー開発を任された豊田さん。食材選びや調理法などを急いで試行錯誤していきました。
「家に帰ってパソコンで調べたり、本屋に行ったり、ランチを食べに行ったりして何かパクれないか?(笑)、仕事前に八百屋やスーパーを駆けずり回って何かないか?って本気で悩みました。」
悪戦苦闘しながらも繰り返したこの時のメニュー開発の経験が、現在の料理を生み出したと語る豊田さん。フレンチという概念にとらわれない“美味しい料理”のその先にある“面白い料理”に辿り着くようになれたきっかけだったと話します。
突然のUターン 真逆の発想で人気店に成長
それから約3年間、新しい店の料理長として奮闘していた豊田さんですが、ある日実家がある旭市でレストランを経営していたお父様から相談を受けます。
「店を辞めたい、と相談されました。父はどちらかと言えば経営側の人間で、美味しいから食べて欲しいという気持ちが薄れていた時期だったのもしれません。このまま店を潰すわけにもいかないので、ある日(旭市に)戻ろう!、田舎暮らしでもいい?って妻にお願いしまして…、家族で帰ってきました。」
こうして旭市にUターンし、東京で学んだ反骨精神を武器に店を継ぐことを決めます。お父さんの経営していた店舗があるのは「国保旭中央病院」の建物の一画。豊田さんのUターンを機にお父様は引退、同じ場所で豊田さんは「Kitchen Tsunagu」をスタートさせました。
「病院の中で店をやるなら、一番病院でやっちゃいけないものをやろうと思いまして…。」
健康的で低カロリー、明るいイメージが病院にある食事処の一般的なイメージですが「Kitchen Tsunagu」は真逆です。
「暗くて黒くてハイカロリーで、クオリティの高い店、そしてハンバーグの専門店にしよう、ファミレスと病院からは一番遠いイメージの店にしようと思い店づくりをしました。」
オープン当初は、病院の食堂と勘違いをして来店するお客さんも多くいたそうですが、今では「通院後に来店するのが楽しみ」とハンバーグを食べに足繁く通うご年配の方や、記念日にパーティーを開くお客さんもいるなど地域の人気店に。
「価値の分かる人は必ずいるのでその人をターゲットにじっくりと進めればお客さんは増えると思いました。」
良い食材には良い生産者 食材が育つ現場が面白い!
「Kitchen Tsunagu」のコンセプトは「人と食、人と人をつなぐ店」。自身のお名前との関連以上に、豊田さんがこだわるのは食材と人そのものです。
「旭市に戻ってきて生産者さんとのつながりがたくさんできました。店を経営していると豚を育てている方、野菜を育てている方、生産者さんと顔を合わせない日はありません。そして実際にお会いするとこういう味がした、この野菜はこういう調理をすると良いなど、食材の話ができるしお互いに意見交換もできる。そして、さらにお知り合いの生産者さんを紹介していただくなど新たなつながりも広がっていきます。食材をどんな人がどこでどういう風に育てているか、他とどう違うのかが重要だと思います。」
「生産者のみなさんは、しっかりとした気持ちで接すれば新しく畑を紹介して下さったり、育てている現場を見せてくれたり様々なことをとても親切に教えてくれます。料理人としてそれがすごく勉強になるし面白い。都会で良い材料を仕入れるには高いお金が必要ですが、ここではそうじゃない。人とのつながりを大切に真面目に探せばこの周辺だけでも素晴らしい食材に巡り会うことができます。」
取材に伺ったこの日も、生産者のみなさんから新鮮な肉や野菜がたくさん届けられており、豊田さんに絶品料理をふるまっていただきました。生産者のみなさんとのつながりは宝物だと熱く話す豊田さん。実は、店で使用する野菜をご自身でも栽培されています。自身で畑を耕すことは生産者とのよりよい関係につながっています。豊田さんの笑顔はとても輝いて見えました。
生産者と地域を結ぶイベント 若者に地域の魅力を伝える場に
豊田さんの生産者と地域に対しての思いは、「地産地消」と「未来」をテーマに若手生産者と飲食店が集結する一大グルメ・イベント「VILLAGE(ヴィレッジ)」の開催にも表現されています。
「VILLAGE」は、旭市近郊の若手生産者、飲食店、ハイセンスな小売店が「旭市袋公園」に集結。無農薬、有機栽培の野菜や畜産農家直送のポーク、地元の食材を使うレストランやバーのこだわりの逸品が楽しめるとあって約1万5千人もの来場があるイベントに成長。食以外にもモノ作りのワークショップやキッズダンサーによるステージ、ヒップホップDJによる演出など随所に“カッコイイ”が散りばめられているのが特徴です。
地域の職人さんや生産者に声をかけ、人が人を呼んでつながり大きなイベントに成長した「VILLAGE」。イベントは生産者と地域がつながる場としてはもちろん、豊田さん同様に旭市から出ていった若い人達にどうしたら帰って来てもらえるのか、という問題にもスポットを当てたものでした。
「若者が都会で身につけた技術やセンスを地元で見てもらえるようなイベントにしたいと思いました。旭市にはこんなカッコイイことやってる人、オシャレな人がいるんだ。こんなに美味しいものがあるんだと知ってもらい、若い人達に旭市に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。」
地元への愛に満ちた豊田さんの笑顔からは少しずつまちの魅力を形作れているという自信も感じとれました。イベントは今後もブラッシュアップしながら続けていくそう。どんなイベントになっていくのか楽しみです。
人とのつながりが温かい。元気がもらえる街。
今後は生産者の畑など現場を主役にした見学ツアーの企画もしたいと話す豊田さんに、旭市の魅力についてお伺いしました。
「旭市は食材に恵まれているのはもちろんですが、人を通してどのように育てられてきたか食材のストーリーが見えるのが魅力です。生産者のみなさんは互いのライバル感がなく、包み隠さずフレンドリーに美味しさの秘訣を教えてくれます。生産の現場を目で見て、直接話を聞いて食べることができる。そういった貴重な体験が毎日できることは旭市の魅力の一つだと思います。」
旭市の人たちから毎日元気を貰っていると話す豊田さん。これからも生産者の顔が見える旭市の食材を使って、“美味しい”からこの街をさらに元気にしてくれるに違いありません。