ホテルの板前から始まった料理人生活。大切にしたのはお客さんと話すこと
「高校時代、厨房のアルバイトで覚えた料理を友人に披露しました。みんなが『おいしい、おいしい』と食べてくれて、『料理は人を喜ばせることができる』と感じた経験が料理人としての原点です」
千葉県船橋市出身の土田さんは、中学卒業と同時に親元を離れて同県鴨川市の高校へ進学。調理師専門学校を経て料理人の世界へ人生のレールをつなぎます。
最初に就職したホテルの厨房で腕を磨く中で、土田さんはある疑問を感じ始めます。それはお客さんの生の声や反応を直接受けられないこと。毎日のように早朝から深夜まで働く厨房は、お客さんとは隔離された空間です。「お客さんの姿が見えないまま作っても、美味しかったのか不安に思えてしまいます。食べ残しを見ても、『なぜ残されたのか』わかりませんでした」
時間が空くと、厨房から店内に顔を出してお客さんと談笑する土田さん
「お客さんと話せる料理人を目指したいと思った」と当時の決意を話す土田さんは、ホテルのイベントなどの模擬店担当に自ら立候補します。
ステーキにうどん、寿司やそばなど、お客さんに合わせて何でも作る模擬店担当は、どんな食材や準備が必要か常に考える必要がありました。厨房の仕事と二足の草鞋をはきながら行った仕事の日々は、時を経て今につながる大切な経験。出店先や店内でお客さんと話し合うのは、趣味・志向・アレルギーなど多くの情報や気付きを得られる貴重な時間です。
旅を通して見つけた、自分の店が目指すこと
当時から、自分の店を持つことが夢だった土田さんは、知識と技術を得るため、オープン直後のお店に就職しては店舗が落ち着く1年半ほどで新しい店へ移るという流浪の料理人としての日々を過ごしていました。そんな中、腰痛を患って現場を離れることになってしまいます。「料理ができなくなるかも知れない。この時間に何をしようか」。土田さんの趣味は旅。久々にできた「旅人」としてのまとまった時間は、「さすらいCAFE」の原点へとつながります。
黒い外観が特徴的な「さすらいCAFE」は開店時、「黒船がきた」と地元住民から言われたそう
「幼い頃から、テレビの心霊特集や妖怪など『不思議なもの』が好きでした。周囲は怖がっていたけど、自分は『本当にあるの?』『どんな仕組みなの?』と科学的な説明が欲しかったです」
何かテーマを決めて、地図や古文書を読み、現地で「フィールドワーク」という形で調査を重ねるのが土田さん流の旅。人見知りとは無縁の土田さんが調査のため決まって向かう先は、地元の住民が集まるところでした。その中でも、「地域に根付いた食堂」は自身が料理人ということもあり頻繁に足を運びました。
「旅は時間も限られていたので、一度ではわからないこともあります。もう一度足を運ぶと既に潰れていることもありました」
地方で経営が安定しない現実に直面する一方、生き残る店は地元の人に愛される存在だと気付き、自らの店のコンセプトを「旅先にいつまでもある定食屋さん」に固めます。
スキレットで煮込んだチーズハンバーグなどの肉料理に、プラス200円でライスを大きな肉が入ったミニ欧風さすらいカレーに変更するのが「通」な食べ方
「大多喜のために」先輩移住者からの言葉を胸に
旅を続けながらも、都内の勤め先で忙しく働く日々に戻っていた土田さん。地方でのお店のあり方を常に考えていた中で、移住者によって盛り上がり始めていた大多喜を含む房総半島の町を訪ねます。
「住人に会った時、誰もが『この町は良いところだ』と自信を持って話していたのが、大多喜に店を出す決定打になりました」。
土田さんは、この町に出会った日をこう振り返ります。
雪などの天候に左右されにくい環境、滝や野生の蛍など手つかずの資源があり、役場には熱い志を持った若手職員がいました。房総半島のマルシェ文化の先駆けとなった「房総スターマーケット(現・miniスターマーケット)」を主催する「珈琲 抱/HUG(ハグ)」の店主、水野俊弥さんなど、土田さんと同じ立場の移住者たちに、活動的な人が多かったのも魅力の1つ。
「人が減って行く現実は変わりませんが、『これから何かやってやろう』、そんな志を持った人がいる中で、町の今後を見ていきたいと思いました」。
そんな思いを胸に、「さすらいCAFE」は産声をあげました。
店内には、移住の「先輩」たちが作る作品が並ぶブースがあります
「大多喜のためなら、何でも協力する」、オープンから2年半を経て、土田さんが大切にする考えです。きっかけは、同町筒森でゲストハウス「わとや」を営む、前田和哉さん(カズさん)との出会い。ゲストハウス開業にあたり、何年もかけて都内から通って住人と関係を作り、ようやくスタートにこぎつけた先輩は、土田さんにこう語りかけました。
「大切なのは地域に溶け込もうとすること。外からきた人は、努力して入って自分のことも話さなくてはいけない。簡単なことではないよ」。この言葉を胸に町や人を知るため、お客の多くが地元民の町内で開催される祭りなどにも積極的に出店をしてきました。販売するのは、大多喜の名産品である筍を使った卵サンドイッチなど地元に根ざした料理です。
経験を活かして力を注ぐ「地域の場所作り」
わとやフェス当日の集合写真。前列左から5人目が土田さん。その隣で上から犬をなでる男性がカズさん
移住前、料理に関わるイベントの開催や企業の広報担当としてテレビ出演の経験もある土田さんは、「場作り」にも力を注ぎます。大多喜町でカズさんと共に作り上げてきたのが、2016年から始まり今年3回目を迎えた音楽イベント「わとやフェス」です。
総勢14組のアーティストが集い、夜は地元出身の作家が作る竹灯篭が会場を照らす幻想的な里山の音楽祭。周辺地域から集まった18のお店が並ぶマルシェも同時開催しました。「地元の人を巻き込んで、集落や大多喜町に喜こんでもらえることをしたい」。カズさんのそんな志が形になった里山の音楽フェスを土田さんは「プロデューサー」として支えてきました。
土田さんが思い描くテーマは、「会話を通じて人がつながるきっかけになる場所」を作ること。今年6月に開催された同イベントに足を運ぶのは、遠方の人から地元の方や子ども連れ、日が暮れて涼しくなった時間には地元集落のお婆ちゃんたち。今回、大多喜町民やわとやがある集落の住民は入場料が割引になるサービスを実施。町役場の移住担当者を会場に招き、町の魅力紹介や移住相談ができる場を設けました。
スタッフと進行状況について確認する土田さん
厨房に立つ時とは違ったイベントプロデューサーとしての一面。土田さんは、「毎回、進化させていきたいと思います。例えば大人と共に子どもたちも楽しめる環境を作ること。外部の人だけじゃなく、町内のあらゆる人がやってくる。こういう雰囲気で話し合うことで、いろんなつながりや新しい何かが生まれてくると思います」と次回へ向けて意欲を燃やします。
料理人としても、最近、ようやく米の炊き方がまともになってきた、そう常連の米農家のお爺ちゃんたちから認められ始めた土田さんと「さすらいCAFE」。夜になると、「今日は仕事で疲れたから、夜ご飯は『さすらってくる』」と地元のお爺ちゃんのSNSにガッツリとした肉メシの写真が投稿される日も珍しくないそう。板前時代から旅人を経て店を始めるまで貫いてきた「会話を通して誰かとわかりあいたい」という思い。今日も忙しい営業の合間、常連さんから始めてのお客さんまで、分け隔てなく接する土田さんの姿があることでしょう。