移住者受け入れ40年
和歌山県 那智勝浦町、紀伊半島のはしっこにある町の山の中に、ちょっと変わった地域があります。
その名は、旧色川村。
色川は、移住者受け入れ先進地とも言われる地域。
最初の移住者が移り住んだのは、40年以上も前のことになるそうです。
地元住民、移住希望のグループ両者の2年以上の歳月をかけた議論の末、受け入れが始まりました。
当時は移住者受け入れの雰囲気など皆無の時代。
互いに相当な苦労があったことは間違いありません。
しかし、この英断は移住者を受け入れる流れを生み、有機農業、自給自足の暮らしを求めた人々がポツリポツリと移住しはじめます。
現在では住民の半分以上が移住者という一風変わった地域となりました。
この地域のなかほどに小さな村の売店、「色川よろず屋」があります。
日用品、調味料、お酒、タバコと、日常のちょっとしたものがそろうお店。
そして、その奥には「らくだ舎喫茶室」という小さな喫茶スペースが。
営んでいるのは、千葉智史さん・貴子さんご夫妻。
千葉智史さんは、2015年から3年間、地域おこし協力隊として色川で活動後、そのままこの地で暮らし続ける道を選びました。
協力隊を選んだ理由
「地方に行きたい、漠然と考え始めたのは29歳のときでした」と千葉さん。
もともとの出身は北海道。
上京し、つとめた会社は生活協同組合のカタログなどを制作する会社でした。
「広い意味での編集職をしていました。
気骨のある農家さんやメーカーさんに取材させていただく機会に多く恵まれて。
炎天下のなか美味しい野菜を作るため、今日も草刈り頑張っています、なんてお話をうかがって記事にするわけなんですが、書いている自分がいるのはクーラーの効いた新宿のオフィス。
なんだかなあという気持ちが抑えられなくなってしまって」
そこから、地方に移住する方法を探すように。
そして初めて「地域おこし協力隊」と出合います。
当時まだ広く知られた制度ではなかったものの、
「移住するなら、どっぷり地域コミュニティに浸かりたかった。それがいちばんうまくいく形だとなぜか確信があって。地域を知りながら、それを仕事にできるなんて、これはいい制度!と思いましたね」
そして、初めて訪れた色川で地方移住したいという思いは、はっきりと輪郭を持つように。
「面接に出てきてくれた方が、全員住民の方だったんです。衝撃でした。
しかも、お話ししていると初めてあった気がしない方ばかり。妙にしっくりきたんですよね」
地域との相性、人の雰囲気、そして仕事、すべてがぴったりと重なったようなそんな感覚だったそうで、移住の話はトントンと進みました。
協力隊の日々
しかし、着任後の活動は決して順風満帆ではありませんでした。
「日々地域で起こるさまざまな活動に可能な限り顔を出して、まずは自分を認知してもらうこと、そして、地域のこれまで、人の関係性、 コミュニティの流儀みたいなものを身体で感じるところからのスタートでした」
地域行事や出役の参加に始まり、棚田保全、産業のお茶の収穫、地域新聞や冊子の編集、草刈り、聞き書き、イベント運営、SNSでの広報活動、獣害対策・・・あらゆることが活動内容。
「活動の前提が、住民主体の地域づくりのサポートでした。自分がどう、というよりも地域がどう思うか、主体的に動けているかが一番最優先の視点でした。いい悪いでなく、このサポート役に徹するという動き方は明確な達成感や自分の存在意義が見出しづらく、悶々とした日々が続きました」と千葉さん。
「他の協力隊員がこんなイベントやりました!とかこんなことやります!って呼びかけを目にすると、羨ましく感じるのと、自分が何もやってないって言われてる気がして、結構凹んでましたね」
なぜ残ったのか?
任期残り1年、というところから、少しずつ「協力隊が終わったらお前はどうするんだ?」と聞かれることが増えていったそう。
「今までの関係性があったからこそ、うちの仕事手伝うか?みたいな話を冗談混じりにでも、投げかけてもらえたんですね。自分のやってきたことが間違ってないと言われたような気がして。純粋にこの関係性を大切にしたい、って思えたんです」
その話のひとつに、よろず屋の共同運営の話があり、いまの喫茶室につながっていったそうです。
日々の暮らし
いまの暮らしの内訳を聞いてみました。
「喫茶室が3割、地域の仕事が3割、現協力隊員のサポートが2割、前職からのライター仕事が1割、猟や自家野菜の栽培などが残り。という感じです」
「幸い、お米は手伝っている棚田で一年分まかなうことができます。野菜も魚も安価で、いただきものもありがたいことに多い。明らかに東京での生活よりも暮らしの安心感・充足感が増しています」
今後について伺うと、
「自分のことに関しては、喫茶室の機能を広げて、本屋とネットショップを立ち上げる準備を進めています。
そして、まだ地域としての連帯感があるうちに、この地域が次の世代、その次の世代へと持続していく仕組みを実践していきたい。
今年、娘が生まれるんですよ。
ここに残りたいって言われた時に、 胸を張って良いよって言いたいじゃないですか」
「派手じゃないけど、前向きに視野を広く持って揺れながらひとつひとつ動いていく。
しなやかに生きるとは、つまるところそういうことなのかなと思っています」