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2020年12月18日 工藤健

青森・平内町の駅前でUターン者が営む小さなパン屋さん。移住農家とコラボ商品も販売

本州最北の青森県の中央にあり、ホタテの養殖や農業が盛んな町・平内町。しかし現在、人口減少や少子高齢化、後継者不足など、他の地域と同じように課題を抱え、中心市街ではシャッターの閉まる店が目立ち始めています。

青い森鉄道「小湊駅」から徒歩3分の場所にある「ichiko(イチコ)」は、自宅をリノベーションし、常時20種のパンを販売する小さなパン屋さんです。東京都内のパン屋で修業した長尾優子さんがUターンし、2010年に開業しました。開業から10年を振り返り、移住農家とコラボした商品のいきさつや今後の目標などを聞いてみました。

仕事を始めて趣味がパン作りになる

高校時代はフィルム写真を現像化する自前の暗室を持つなど、大の写真好きだった長尾さん。上京した理由もカメラの仕事に携わりたかったため。高校卒業後に神奈川の写真専門学校に通学し、土日はカメラマンとして撮影の仕事をするようになります。専門学校卒業後に見つけた仕事がパンの製造業でした。

「パンに対して強い思い入れがあったわけではなく、オフィス街にあったパン屋だったため、土日休みが持てたこと。土日にやっていた撮影の仕事は続けたかったため、私の都合にはちょうどよかった」と長尾さん。パンの製造現場で知り合ったのが、友人となる「イチコ」さん。長尾さんがパンを営むようになったのは、「イチコ」さんの影響が大きかったそうです。

長尾さんは「イチコ」さんと東京のパン屋を一緒に食べ歩いたりパン作りを教えてもらったりしていく中で、パンの魅力にハマり始めました。「パンと言えば、スーパーやコンビニに並んでいるイメージしかありませんでした。路面店にかわいい専門店があることから驚き、イチコさんの情熱に感化された」とのこと。

多くのパン屋を食べ歩いたが、当時は自身がパン屋を開くとは思ってもいなかったという

28歳で平内町にUターンするまでの間、長尾さんは3店のパンで経験を積みました。3店目のパンは神奈川・逗子にある店で、アットホームな雰囲気だったそうです。充実した生活を送っていましたが、次第に帰郷したいと思うようになったと言います。

「ホームシックになったわけではありませんが、子ども連れのお客さまや家族を見ていると、なんとなく自分の居場所はここではないような気持ちになりました」。2008年、長尾さんはパンの仕事を辞めて平内町に帰郷することにしました。

開業10年と地産の食材を使った挑戦

長尾さんは平内町に戻ってきた当初は青森市まで通い、撮影スタジオの受付などで働きました。その間、青森でパン巡りなどをしていましたが、自分で開業するとはまだ思いもしなかったと言います。「大きな志が特にあったわけではなく、周囲の勧めや、やってみようかなといった簡単な思いつきでしかなかった」。

家族からも反対はなく、自宅のキッチンを改修して店づくりに取り掛かりました。店は製造工房と販売スペースを備える約35平方メートル程度の広さ。壁は自分で塗り、業務用のベーカリーなどの機材は自分の貯金などを使って整えていきました。「準備をしていくうちに必要なものがわかり、今まで恵まれた環境でパンを作っていたのだと改めて知りました」と長尾さん。人のつながりや周囲の助けに支えられ、イチコは2010年にオープン。店名はもちろん友人の名前が由来しています。

店名のイチコは、パン屋を営むきっかけを与えてくれた友人から

「改まって報告するようなことでもなく、本人には伝えていませんが、たぶん気づいているのではないでしょうか」と笑顔の長尾さん。

当初は駅近くの立地を生かし、「通勤や通学の途中で食べていけるように」と早朝からオープンしていましたが、なかなか定着せず、集客に苦戦が続きます。せめて3年は続けようと試行錯誤し、あきらめずに続けました。長尾さんは「意地でやってた。気づけば10年。当初はこだわっていたがあきらめたものもたくさんあった」と振り返ります。

少しずつリピーターは増え始め、長尾さんは常連客であった人と結婚。出産や育児のために長期休業もありましたが、町のイベントなどにも呼ばれるようになり、平内町に浸透していきます。「一人で小さく続けているパン屋。自分のペースは守り、今でも週休3日。営業日は朝1時に起きてパンを焼き、子育ても続けている」と明かします。

長尾さん

地元リピーターに支えられていると感謝する長尾さん

地元でパンを開業したのだから、平内の食材を使ったパンを作りたいという思いは当初からありました。「ホタテラスク」はその一つ。メインのメニューではないが、ほかにも地産の食材を使ったパンを作りたいという夢はあったそうです。

そんな中で生まれたのが「ほうれん草のスコーン」でした。イベント出店の際に主催者から提案を受けたことから始まったコラボ企画で、平内町でほうれん草を生産する農家・湊徹也さんを紹介されたと言います。

ほうれん草のスコーン

今でも販売する「ほうれん草のスコーン」

20代の体調不良が就農につながった移住農家

湊さんは現在31歳。2017年に青森市から平内町に移住した若手農家です。もともとはロボットや重機などを勉強していた工学系出身。「ものづくりには憧れていた」と話します。

湊さんは高校卒業後、八戸で就職しますが、退職し東京の派遣業に就きます。「特に明確な目標がなく、東京で遊びたいという気持ちだけがあった」と話します。そんな中、ある転機が訪れました。

湊徹也さん

ほうれん草農家の湊徹也さん

「体調を崩し、まともに仕事もできない体になりました。デスクワークがストレスになったことや満員電車といった通勤などの苦労が重なったこともあったのではないでしょうか。なにより食事を気にしていなかったことが大きかった」と振り返ります。

通院していく中で、病院や薬に頼らない体づくりを考え、食事から見直すことにしたという湊さん。体調は少しずつ快復しましたが、就農という道を考え始めたのはこの頃だったと言います。「体を動かした仕事の方が性分に合っていること。食事は人の健康を司る大切な要素。農薬や化学肥料を使わない安全なものを口に入れたいという思いが強くなった」と話します。

青森に戻り、兄の店を手伝いながら就農の道を探します。家族や友人に農業関係者がいなかったため、手探りでまずは農業振興センターという就農を応援する機関に相談することにしました。そこでは、研修や講習会などが受講できたほか、農家の元で実際に作業をしながら、勉強ができるという環境を得ることができたほか、さまざまな助成制度や就農支援を知る機会もあったそうです。

湊徹也さん

ほうれん草の収穫自体は地元の人たちを雇い行っているという

そこで出会ったのが、農薬などを使わない「ほうれん草」。通年で出荷できるメリットやすぐに挑戦できそうな作物だったことから、湊さんは「ほうれん草」で起業することにします。しかし、青森市では手ごろな農地がなかったことから、隣町であった平内町に相談。すぐに紹介されたのが今の農地の場所だったそうです。

移住した2人の思いとこれから

当初は青森市から通うことを考えていましたが、利便性を考え、平内町に移住したという湊さん。「周囲の人たちは優しく、生活には困ることはありません。一人暮らしに慣れているからかもしれませんが、買い物に困ることもなく平内町に住むデメリットを感じなかった」と湊さん。

そんな湊さんが長尾さんとコラボを決めたのは、地域の活動として地元の店とのコラボはおもしろそうだったからという単純な理由でした。

湊さん

食について考えてほしいと語る湊さん

「今でも食事には気を遣っており、同じように多くの人たちに食について考えてほしいという思いがあります。平内町で農薬・化学肥料不使用といった農作物の生産を増やしていきたいという夢もあり、いつかそんな食材を使ったレストランをやりたいというのが目標。そのための経験であれば、いろいろなことに挑戦したい」。

一方の長尾さんは、大きな夢や目標があるわけでなく、自分のできる範囲でこれからもパンを続けていきたいと言います。「まちづくりや地域活性など大それたことは考えてないが、パン屋として、平内のものを使った商品は積極的に作っていきたい」と長尾さん。今後は平内町に訪れた観光客でも買えるようなお土産を作ることができればと意欲を見せていました。

長尾さん

パンを始めたことで、結婚、出産も経験した長尾さん

ともに20代のちょっとしたきっかけが今の仕事に結びつき、移住へとつながりました。2人とも10年前から見た今の自分はきっと想像もつかなかっただろうと話します。平内町に移住した2人が出会い、新しい商品が生まれもしました。東京での経験から独立。自分で始めた仕事が地域に影響を与え、もしかすると今後の仕事につながるかもしれません。平内町ではそんな小さな動きが生まれつつありました。

そして、平内町では、町の花である「椿」をいかしたまちづくりプロジェクトに参加し、地域住民とも協力しながら地域を元気にするために一緒に考えてくれる方を募集中です。詳細は募集ページをご覧ください。

取材先

パン屋ichiko 長尾さん

湊農園 湊徹也さん

工藤健
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工藤健

工藤健青森在住のライター。埼玉出身。2012年まで都内でウェブディレクターやウェブライターを生業にしていたが、地域新聞発行の手伝いをするために青森へ移住。田舎暮らしを楽しみながら、ライターを続けている。自称りんごジャーナリスト。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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