黒滝村は、桜の名所である吉野山の南に位置する平均標高490mの村で、河川沿いのわずかな平地や山麗斜面に民家が点在しています。南北に長い奈良県のほぼ中央に位置しており、「奈良のへそ」ともいわれています。
主な産業は林業。村の97%が森林で、特に戦後発展した吉野杉の人工林を利用した製材業が盛んです。とはいえ、活気があったのは昭和の終わり頃まで。他の地域と同様に、国産の吉野杉は外材の価格攻勢に太刀打ちできず、産業構造の変化もあって次第に勢いを失っていきました。
現在、黒滝村では、質の高い国産吉野杉をブランド化し、建築材や特殊木材として付加価値を高め、林業従事者を増やす努力をしながら、山林の保全と産業の振興を図っています。
「木が好きやから…」吉野杉の透かし彫り伝統工芸士 山口哲雄さん
透かし彫り伝統工芸士・年輪工房の山口哲雄さんは、生まれも育ちもここ黒滝村。長年林業に携わってきて60歳を過ぎた頃、ヘリコプターで運ぶため廃棄されることも多い吉野杉の端材を見て「もったいない、これで何か作れないか」と活用法を考え始め、透かし彫りという技法を知ります。
運よくサンドブラスターと呼ばれる透かし彫りの機械を手に入れることが出来、そこから透かし彫りの世界にのめり込んでいきました。
透かし彫りは、吉野杉の美しい木目の性質を活かし、手作業でつくられる美術工芸品。
木の年輪である木目には、夏目と冬目と言われる2つの硬さの違う場所があります。透かし彫りは、夏目の柔らかい部分をサンドブラスターという機械で、細かい砂のようなガラスを吹き付け飛ばすことで、硬い冬目だけを残し、ボーダーのような透かし文様をつくりあげます。
山口さんにとって、透かし彫りの魅力はどんなところにあるのでしょうか?
山口さん:「木が好きやから、それでやっとるだけでな。木の良し悪しを見分けるのも楽しい。なかなかそれが難しいてな。上手にすると、ええ品ができる。年輪が直角でなく斜めになってしまうと、透かしにならない。そういうことも自分がつくってはじめてわかったことや」
透かし彫りの作品づくりは、木を選ぶところから始まっているのだそう。吉野杉は年輪の幅をわざと狭めるように育てられており、そのことが透かし彫り作品の繊細さにつながっているそうです。
山口さん:「大作をつくるときには何枚も貼りあわせる必要があるから、年輪の幅をうまいこと揃えていくんや。年輪が揃っても、今度は色が合わへんこともある。木というのは裏表があって、そこも全部合わせる必要もあるんや」
山口さんの木への情熱は年を重ねても衰えることがありません。ご自身が若い頃に植えた杉が今、樹齢6〜70年の立派な木となって手元にやってくることもあるのだそう。
「“後継者”というよりも自然に受け継いでいる感じ」透かし彫り工芸を受け継ぐデザイン担当 花井慶子さん
山口さんの技術を継承し、共に作品づくりを行っているのは、黒滝村の北にある奈良県下市町在住の花井慶子さん。もともと実家が製材所だという花井さんは、現在その製材所で働きながら、平日の午前中は車で30分ほどの黒滝村の工房に通い、透かし彫りの仕事をしています。
活動をはじめて7年目となった花井さんですが、透かし彫りを知ったきっかけはほんの偶然でした。自社が出展していた木材の展示会に黒滝村もブースを出しており、そこで透かし彫りを知ります。服飾の学校に通っていた花井さんは、その繊細な細工とデザイン性の高さに惹かれ、黒滝村の工房に通うようになりました。
花井さん:「いろいろと教えてもらいながら一緒に作業をしているので、“後継者”というよりも、自然に受け継いでいる感じですね。哲兄(師匠の山口さんをそう呼んでいる)の木の知識や技術がすごくて、「この年輪が少し傾いてるのは、枝払いしたときに影響があったから」というような話を、直に聞きながら仕事ができるのが楽しいんです」
現在は主にデザイン面の仕事を花井さんが、最後の仕上げである細かい機械作業を山口さんが担当することが多いそう。
花井さんにとって透かし彫りの魅力は、表現の自由度にもあると言います。
花井さん:「下絵をカッターで切るなどの細かい作業も多いので、首や肩が凝って目も疲れます。でも、木の年輪の細かさを活かして、自分の手で、細かいところまで細工をしていくことで、いろいろな図柄をつくれるのがいいですね」
花井さんは、透かし彫り作品のほか、吉野杉の年輪に刀を入れて剥ぎとった面皮(めんかわ)を材料に、アクセサリーや髪飾りなど、一点物の小物やオブジェを制作・販売するアーティスト活動も行っています。デザインセンスを活かした今後のオリジナル作品展開にも要注目です。
透かし彫り工芸士の技術を受け継ぎ、担い手となるプレッシャーを感じることもあるそうですが、自然体で「哲兄」との会話も楽しみながら仕事をしている花井さん。作業場は、花井さんのお子さんも交えて家族のような和気あいあいとした雰囲気でした。
質の高い吉野杉を守るために。山林管理に取り組む移住者たち
透かし彫りに使われるような質の高い吉野杉を安定的に供給するためには、山林管理が欠かせません。黒滝村では、地域おこし協力隊制度を活用して、地域の人たちとともに森林資源を活かす人材を森林整備隊員として採用しています。研修制度も整っており、未経験でも基礎知識・技能の習得から一人前の現場技能者として必要な能力を身につけることが可能です。
今回は、県内外から移住し、森林整備隊員として活躍する4名の方にお話を伺いました。
黒滝村地域おこし協力隊の森林整備隊員として2019年に着任した谷本伸雄さんは、奈良県五條市出身。父方が黒滝村に縁深かったこともあり、以前から村や森林は近しい存在でした。現在は黒滝村森林組合を拠点に、植林や枝打ちと呼ばれる木の枝をカットする作業、木の間引き伐採作業など、山の仕事全般を請け負い、先輩職員とともに活動しています。
普段の現場作業で苦労している点を聞いてみると、ちょっと意外な答えが返ってきました。
谷本さん:「山林や作業のことを知れば知るほど、機械の扱い方や市場に出すための材木を見る目を養うことの大切さなど、自分自身の課題も増えていく状況ですが、一番キツイと感じるのは現場への道のりですね」
伐採や植林現場は、当然ながら山のなか。近くまでは車で移動しますが、現場までの道のりは、けもの道や未踏の急坂のような場所も多く、徒歩で往復1時間近くかかることもあるのだとか。
同じく隊員歴2年目の安崎沙耶香さんは埼玉県の山間部出身。大学時代は農学部の森林科学科を専攻しました。それまでは特に地元の山林にも興味はなかったそうですが、学びを深めるうちに、実際の現場を知りたいと思うように。なかなか女性で山の現場まで入れるところが見つからず、いろいろ調べるうちに黒滝村のことを知り協力隊に応募。ここでは先輩にも女性がおり、分け隔てなく作業を担当できるのがうれしいと話します。
安崎さん:「もちろん体力も必要なので大変ですが、それよりも技術的な部分が難しいです。例えばチェーンソーひとつとっても、背の高さが違うことでからだの使い方も変わってくる。使用する機械もさまざまなものがあって、ひとつひとつ覚えることも多いですね」
神奈川に長く暮らし、造園業に就いていた野口浩司さんは、造園業から森林全般に興味分野が広がるなかで林業に惹かれ、「林業といえば吉野だ」と協力隊に応募し、2020年10月に単身黒滝村へとやってきました。
野口さん:「まだ着任して間もないですが、山の仕事に大きな魅力を感じています。とにかく使う機械もカッコいい!と思いながら、毎日チェーンソーの刃を研いでいます。林業の仕事は「人のためにやっている」と感じることが多く、やりがいが大きくなりました」
隊員のなかで一番の若手、上山拓己さんは香芝市出身。学生時代に趣味の登山が高じてアウトドアショップでアルバイトをしており、そのことが縁で黒滝村の協力隊募集を知りました。
大学を卒業して森林組合で働く上山さん。まわりの友人とは違う道を歩むことになって不安や戸惑いはなかったのでしょうか?
上山さん:「スーツを着て就活していたときの違和感がここではまったくないんです。登山が好きなので、アウトドアそのものの環境で働けることに魅力を感じました。バイトを通じて村について少し知っていたこともあり、楽しみながら仕事ができています」
現在、現役協力隊や卒業生も含め、黒滝村森林組合には12名の森林作業班がいますが、実は全員が他地域からの移住者。20〜30代の若手が半数以上のフレッシュな顔ぶれで、森林整備に取り組んでいます。
吉野杉を活かしたものづくりの担い手や仲間を増やしたい
今回ご紹介した透かし彫り後継者育成や林業の森林整備隊員のように、黒滝村では、伝統工芸の伝承とものづくり支援のため、国の農山漁村振興交付金を利用した人材育成を行っています。林業建設課の北村巨樹さんにお話を伺いました。
北村さん:「担い手になってくれる人を全国から募集して村で雇用できればと考えています。ただ、透かし彫りや水組木工だけで食って行くのはやはり難しいので、林業をやったり、木工などの他の仕事を個人でやったりしながら、やっていける人がいいかもしれません」
花井さん:「透かし彫りは手作業の連続で、まとまった数の注文があっても現状は対応できないことが課題です。ピンポイントでここを手伝う、というような人もいたらうれしいですね。販路を開拓したり、付加価値をつけて売るなど、チャレンジできることはたくさんあると思います」
林業や木材、伝統工芸に関わる若い世代が増えて、村の雰囲気もどんどん変化している黒滝村。興味があれば、森林組合のWEBサイトで担い手募集情報などをぜひチェックしてみてください。