大月ロハス村の森林ガイドウォーク体験
大月ロハス村と名付けられたエリアは甲州街道から続く山の中にあります。もともと道もなかった森林に、全長1.5kmのトレッキングコースを整備しました。地元の山をよく知る山林の地権者の方や佐々木さんの友人などがたった4ヵ月で開墾したというから驚きです。
湧き水が流れる細い坂道が山への入り口。そこからジグザグと続く急坂を上がってロハス村の敷地に向かいます。
「少しここで休憩しながら心とからだを休めましょう」と裕生子さん。数十メートル上っただけで息が上がるほどの急坂の中腹で少しだけ森林ヨガを体験。声のリードに従って森の中で何度か深呼吸を行います。
「ちょっと人差し指をなめてみてください。森に入ると唾液の味が変わるんですよ。」
ストレスの有無で唾液内のアミラーゼ分泌量が変わり、苦味から甘みがある唾液に変化するのだとか。普段オフィスワーク中心の参加メンバーは、久しぶりに感じる圧倒的な緑と新鮮な空気を全身で感じて、少しずつリラックスしてきた様子。
ロハス村のメインステージであるサンサーラ広場までは450m、樹齢60年の杉の木で作られた100畳もの広さのウッドデッキは、森の中に突然現れる広大な空間。ここで地元で活動する薬草膳処「じゅん庵」のお弁当をいただきます。
その他、かまどがある森のキッチンやログハウス、ドラム缶風呂、環境に配慮したコンポストトイレ、ツリーハウスなどが作られています。
山の上部にあるサンサーラ広場までの道のりは、人が通れる程度の急峻な坂道のみ。荷物や資材を運ぶにもひと苦労ですが、小型クローラー車を購入し運んでいるのだとか。佐々木さんのガイドで森を歩くと、ただの木が植えられているだけと思っている周囲の様子が、環境のこと、エネルギーのことなど、立体的な視野で見えてきました。
ロハス村では、間伐材を使ったエコランプや箸作り、スギの葉のお線香やアロマ講習会、森のヨガ・セラピープログラムに加え、森林環境教育の一環として自然観察会や野草講習会なども行っています。また、入口付近に古民家体験宿泊施設「雲水舎」も携え、半断食リトリートなど数多くのプログラムを企画運営しています。
約30年前に家族でUターン。薪ストーブとヨガで、大月の森と関わる
佐々木さんは大月市駒橋出身。ご両親は鉄工所を営んでいました。子どもの頃、体が弱かったことから、自分自身が健康になるためにとヨガを始め、その後、大月を離れ、大阪や東京、海外などで、ヨガ講師や音楽の仕事などをしていた佐々木さん。約30年前に、家業を継ぐため、夫の俊夫さんと長女を連れて大月にUターンしました
移住当時は、鉄工所も順調でしたが、バブル崩壊とともに鉄工業全体が斜陽となり事業が低迷。佐々木さんご夫妻は、新しい事業を考える必要に迫られました。
そこで目をつけたのが、まだ国内での認知度が低かった薪ストーブ。 当時出回っていた海外製の薪ストーブは、松や杉などの針葉樹を燃やせないものが多かったため、針葉樹を燃やせる純国産のオリジナル薪ストーブを作れば、地元の木材も使え、地球環境にも優しい商品になると考えたのです。鉄工所ではもともと焼却炉を作っていたこともあり、その技術が活用できました。
製品を開発してホームページでネット発信すると、その品質の良さと良心的な価格から注目を集め、全国から注文が集まるようになりました。
薪ストーブづくりという新しい事業がスタートした一方で、佐々木さん自身が長年取り組むヨガでも、大月の森と関わる活動を行うようになりました。
「大月にはこれといった観光資源がなくて、大月自体を目的地に来てもらうことが少ないというのが課題でした。大月の魅力は何といっても、市域の80%以上を占める森。その森林を利用した何かができないかということで、東京農大、都留文科大 大学の先生と実証研究を行いました。」
森の中でストレス軽減効果を得られる「森林ヨーガセラピー」を提唱し、森林ヨガインストラクター養成などの活動を広げていきました。こうして、大月の森への関わりが少しずつ増えていったのです。
灯台もと暗し…荒れ放題だった自分の家の裏山にショックを受けて
そんな中、突然、現在ロハス村がある山林を相続した佐々木さん
「両親が亡くなり、相続することになったんです。親戚の叔父に『山の境界を教えてやるから』と言われて、初めて裏山に登りました。叔父が木を切って切り開きながら山の中腹まで来て、『こっから上がうちの山で、ここからここまである。で、これを裕生子にあげるから』と言うわけです。」
「ふと見たら、ほとんどが急斜面な中に、少しだけ平らな場所があったんですね。で、あそこだったらヨガのリトリート施設みたいなものを建てられるかなと思って、いろんな構想が膨らんでいきました。」
そこで改めて気づいたのが周囲の山林の荒れ具合。昔は段々畑や田んぼが作られていたという山は、戦後、アカマツや杉、檜などの針葉樹が植林されたのち、木材価格の低下によって管理が不十分になっていました。
「学生時代は大阪に行って、その後ロック歌手でデビューをすることになったり、インドに行ってヨガ修行をしたり、あんなにあちこち海外も行ったりしてたのに、大月のことは何も知らなかったんです。薪ストーブを使って環境にやさしいなんて言いながら、自分のうちの裏山が荒れ放題だったということに気づいて…本当にショックでした。」
そこからロハス村完成までは、まさに奇跡のような話の連続。 「土地はあっても設備投資するお金がない」と困っていたときには、銀行員だった同級生の友人が「地域を管轄する支店長になったから」と偶然家を訪れて、資金を融資してもらえることになったり、あっという間に設備計画も立ち上がり、国の補助金も得られることになって、ビジョンが現実のものになっていったのだそう。
佐々木さんはその時に「本当に必要なお金っていうのは、呼び寄せてくれたように集まってくるものなんだな」と思ったといいます。
また、森林活用の事例として、雑誌やテレビなどのマスコミにも広く告知されたこともあり、オープン時から全国的に知られる人気施設となりました。
いろいろな出会いが、ロハス村の活動につながっている
佐々木さんの活動は、大月ロハス村の運営を中心に、木の間伐、間伐材の搬出、森の清掃、薪づくり体験などを行う定期的な森林保全活動のほか、マルシェやヨガ、、音楽コンサート、講演会、映画上映などのイベントを行う「癒しのフェスタ」を主催、森林ヨガインストラクター養成などなど、多岐に渡っています。どこからそんなバイタリティが湧き上がってくるんでしょうか?
「いろんな出会いがあったからここにつながっていて。おじいちゃんの山が呼んでくれて、ひとりでやってるのではなくて、いろんなものに導かれてこのロハス村を運営してるなって思うんです。」
開墾や土木作業、荷物の運搬など、裏方としてロハス村の運営を支える夫の俊夫さんも「この人はちょっと人と違うんですよ、行動力が違う」とそのパワフルさに太鼓判を押します。
ヨガ中心の活動から、森林と共生する暮らしづくりへ
都会から多くの団体を受け入れ、ヨガを中心にさまざまなプログラムを行っていたロハス村ですが、コロナ禍においては来客数に制限があり、運営は大変だと話す佐々木さん。これまで、常に自分自身が最前線で活動してきましたが、今後はロハス村の活動を少しずつ次世代に繋げて、広がりを持たせていきたいと考えています。
「以前はヨガのアシュラム(修行場)のような場所をつくりたいと思っていました。でも、この数年間で、少しずつ自分の内側の考えが変わってきたんです。長くヨガを専門的にやっていて、自分の使命はヨガの教えをきちんと伝えることだという思いがあったんですが、今はそんなにこだわらなくてもいいかなと。今の時代、YouTubeでもヨガの哲学を学べるし、朝4時に起きて瞑想を3時間、とかやらなくても、ちゃんとヨガの考え方を理解している人もいるし。」
佐々木さんは、現在のロハス村の活動をベースに、若い人に運営をバトンタッチしていくなかで、今まではあまり関わりが持てなかった、よりカジュアルにヨガや森林に興味を持つ層にも利用してもらえるようにしたいと考えています。
「ヨガを極めたいとかじゃなくて、アウトドア感覚の人とか、異業種のいろんな人が来て、カジュアルにこういうのもあっていいよね、と交流しながら活動していかけたらいいですね。」
佐々木さんの興味関心は、肉体的なヨガよりも、ヨガ的生活ともいえる森林と共生する暮らしに移りつつあります。これは、今までロハス村がテーマにしていたヨガの哲学に基づいた自然との共生、調和の実践なのだと佐々木さんは言います。
佐々木さんの口からは、高齢で耕作できなくなった休耕田を活用した自給自足ができる畑づくりや、大月の森林を利用して加工した薪を販売する「薪スタンド」をつくりたい、など次々と新しいプロジェクトの話が飛び出します。
「地球が数億年かけて蓄積してきた化石燃料を、私たち人間は、僅かこの100年で使い尽くそうとしています。地球が悲鳴をあげるように、洪水や異常気象などの自然災害も年々ひどくなっています。今は、次世代につながる自然環境をつくることにエネルギーを注ぐ時期。マニアックなヨガの世界だけではなく、もう少し大きな枠組みでいろんな人と絡みながら、取り組んでいく必要があるのかなと思っています。」
「森は命の源」と話す佐々木さん。彼女の大月の森林資源を通じて人と森を結ぶ活動は、これからもどんどん広がっていきそうです。