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2018年6月11日 奈良織恵

「移住の失敗」ってなんだ?

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「ココロココ」のようなWEBメディアをやっていると、ときどきテレビ番組の制作会社から電話がかかってきます。

「〇〇のような移住者を紹介してもらえませんか?」
「芸能人がお試し移住できるまちを教えてもらえませんか?」

など、いろんな質問をされるのですが、これまでで一番多かったのが

「移住の失敗事例を知りたい。移住に失敗した人で、取材を受けてくれる人を紹介してもらえませんか?」

というものでした。

で、あらためて考えるのが、そもそも「移住の失敗」ってなんなんだ?
ということ。

・地元の人とうまく交流できなかったら失敗なのか?
・稼ぎが激減したら失敗なのか?
・移住先から元の場所に戻ってしまったら失敗なのか?
・任期を終えずに戻ってしまった地域おこし協力隊は失敗なのか?

うーん・・・
移住した先の暮らしの中では、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるのは当然。
「収入は激減したけど、暮らしは豊かになった」とか「2年で戻ってきたけど、有意義な期間だった」みたいなこともあると思いますし、人の人生、住む場所の選択について、他人が成功/失敗のゼロイチで片づけて定義するのは、難しいですよね。

あえて分かりやすく、地元の人/行政の立場で考えると、やはり定住がベストで、「出て行ってしまった人」は失敗になるのでしょうか。

ちょうど昨年末に、私自身が地方移住に興味を持つきっかけにもなった、「父の遠野移住生活」が終わり、横浜の実家に戻ってきたタイミングなので、「戻ってきたら失敗なのか?」というのは、個人的にも気になるテーマです。

父の遠野生活は12年間。
住民票も移していましたが、母は横浜に残っていたので、冬の間だけは横浜に戻る季節型の2拠点生活でした。
雪国の人としては「冬を過ごしてこそホンモノの遠野人」みたいに思うところもあったと思うのですが、まわりのみなさんは、父のスタイルを理解して、協力してくださいました。
私や友人、会社のメンバーが田植えや稲刈りで遊びに行くと、いつも歓迎してくれました。
父が遠野を去ることが決まったあとは、毎週のように送別会をしてくれました。

今回、父が引き上げたあと初めてきちんと町を訪れましたが、
産直で「奈良さんのお嬢さん?」といって声をかけてくれて、その場で娘に会ったことをわざわざ父宛に電話してくれる人がいたり、田んぼを手伝わせてくれる方がいたり、「お父さんの家、まだ空いてるからみんなで借りて使えば?」と提案してくれる人がいたり・・・

拠点は無くなってしまいとても寂しいのだけれど、暖かさは残っていて、つながりが消えた感じはしなかったです。

「骨をうずめる覚悟」という言葉がありますが、そこまでの覚悟をして移住できる人が、果たしてどのくらいいるのでしょうか?
父は遠野を引き上げることを決めたとき「(歳をとって)遠野のみなさんに迷惑をかけるようになる前に戻るんだ」というようなことを言ってました。
人は死に場所を探して移住するのではなく、日々の暮らしを営むために移住するわけだから、結果として定住したかどうかではなく、期間が長くても短くても、その過程で何をしたか、どう暮らしたかが大事なはず。

・・・というようなことを考えると、「移住に失敗した人教えて」と軽く言われて紹介できるような人はいないし、移住は人の人生そのものなので、失敗か成功か?で分けて考えるような切り口には、やはり違和感があるなぁ、と改めて思いました。

あくまでも、東京からいろんな地域に関わる立場で客観的に見て思うことなので、実際に移住した方や、移住者を受け入れた地元の方の意見もお伺いしてみたいです。

奈良織恵
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私が紹介しました

奈良織恵

奈良織恵横浜市出身、東京都港区と千葉県南房総市の2拠点生活。 両親とも東京生まれ東京育ちで、全く田舎のない状態で育ったが、父の岩手移住をきっかけに地方に通う楽しさ・豊かさに目覚める。2013年に「ココロココ」をスタートし、編集長に。 地方で面白い活動をする人を取材しつつ、自分自身も2拠点生活の中で新しいライフスタイルを模索中。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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