南房総は「サイクリストの聖地」だ!
取材に伺ったのは2017年11月にオープンした南房総サイクルツーリズム協会が運営する「平群クラブハウス」。もともと保育所だった施設の部屋を利用しており、教室の面影や洗面台の低さ、色合いに漂う”可愛らしさ”と、ロードバイクの”クールさ”が不思議と融合している。バイクラックや空気入れといった備品が完備されているほか、クロスバイクの一式レンタルも始まった。車で訪れ「手ぶらでクロスバイク」が楽しめる。
「南房総は首都圏からアクセスが良く、車や信号が少ないことから、ストレスなくロードサイクルができる最適地です。海や里山といった景色も様々な表情を見せ、これほど充実したコースのある地域は全国でも珍しい。ただ、ロードバイクの専門店も数少なく、これまでサイクリストのための交流の場もなく、包括的な情報発信はできていませんでした。そこで南房総にある各自転車クラブの会長さんや代表とお話しして、広域で連携して『サイクリストの聖地』を実現しようと立ち上がったのが南房総サイクルツーリズム協会です。」
確かに南房総在住の筆者は、颯爽と道を駆け抜けるサイクリストを時より見かける。思い返してみれば、その光景が年々増えているようにも感じる。しかし、だからといって南房総は「サイクリストの聖地」であるという発想には至らなかった。これぞ地域資源を活用したブランディングというのだろうか。
インバウンド観光に重要な課題を3つに整理
さて、瀬戸川さんが南房総市から地域おこし協力隊の委嘱を受け、”インバウンド観光プロデューサー”として活動を始めたのは2016年の12月。瀬戸川さんは早速インバウンド観光を考えるにあたって重要な課題を3つに整理して優先順位をつけ、サイクルツーリズムに向かっていった。
「南房総はこれまで外国人の観光が少ない地域で、東京オリンピックを前にしてインバウンドをやろう!といった時に受け入れ体制に不安が集中していました。しかし、インバウンドの課題を、①受け入れ体制、②コンテンツ、③マーケティングに分けるならば、この優先順位は②③①です。京都や鎌倉といったインバウンドの代表地域を例にとっても、魅力的なコンテンツがあるから、自然と外国人旅行客が集まり、それに従って受け入れ体制が整っていきました。
そこで、南房総らしい「観光」を考えたときに、サイクルツーリズムが浮かび上がったわけです。はじまってみると協会がガイドを務めるツアーに参加したインターナショナルスクールの先生が南房総で学校旅行を実施する事を決定するなど予想外の展開も起こっています。もちろん観光はインバウンドに限るわけではありません。むしろ、他地域と比較して南房総はどんな強みがあるのか、その反対に弱みがあるのか、地域の人が共通認識をして、どの方向で勝負するのかを決めることこそ大事なことですね。」
「どこにいるか」を見極めて「どこに行くのか」みんなで決めること
インバウンド観光とは、訪日外国人を呼び込む観光のことであるが、外国人といえども何もコンテンツがないところに足を運ぶはずがない。英語版のWEBサイトがあって、飲食店や宿泊施設で英語の対応ができたとしても、何よりコンテンツが重要だ。その点南房総は海や里山の自然、海山の幸など数多くのコンテンツに溢れているように見える。
「いえ、かつて私がそうだったように、南房総はインバウンド以前に首都圏の在日外国人にまだまだ認知されていないと思った方がいいです。確かに自然や食に恵まれているのですが、それぞれが思い思いに観光を進めているため、南房総全体で何が売りなのかうまく伝わっていないのがその原因かと思います。今、南房総の観光が『どこにいるか』という現状を見極めて、『どこに向かっていくのか』を広域で決定していかねばなりません。
サイクルツーリズムに目をつけたのは、サイクリストという特定の人々に対して南房総は明らかに他地域に秀でた資源があります。羽田や成田からも近く、インバウンドとして立地条件も悪くありません。サイクルツーリズムに的を絞って、海山の自然や伝統文化、また飲食店や宿泊施設を紹介していくことで、サイクリストにより一層充実した旅を提供し、そこから更にもう一歩踏み込んで学校や会社の旅行・研修先や二地域居住や移住先として地域の観光が活性化するのではないかと考えました。」
南房総に住んでいると「びわ」や「いちご」、最近では「いちじく」や「南国フルーツ」など様々な農産物が栽培されており、新鮮な海産物が近くで手に入り、マリンスポーツのバラエティも多彩だ。簡単にいうと、「何でもある」ように見える。しかし瀬戸川さんによると、だからこそ何があるのか伝えづらく、わかりにくいのだという。 そこで瀬戸川さんは、土地の産品や名所ではなく、旅の仕方に視点を変えた。サイクルツーリズムが窓口となり、その先に南房総のディープな観光が広がっていく。
月に一度は通い続けた南房総との出会い
このように“インバウンド観光プロデューサー”として南房総の観光に尽力する瀬戸川さんは冒頭でも書いた通り、もともとは外資系証券会社で世界中の政府機関や企業の経営に携わっていた。 ここで、瀬戸川さんが南房総へ移住した経緯を伺ってみよう。
「南房総と出会ったのは2007年の夏休みでした。家族で海外旅行に行こうと計画していたのですが、直前に仕事が入ってキャンセルすることになってしまったんですね。そこでどうしようかと考えた時に、ちょうどアクアラインが開通した南房総に行ってみようかと。すると、夏の終わりに差し掛かる海岸で、ビキニパンツのおじいちゃんがパラソルを貸していたりしましてね。『ここはイタリアか?』と。いや、後で思い返せば疲れて少しおかしくなっていたのかもしれません(笑)。」
移住後この海岸に訪れると「あまりにも普通の海岸で驚いた」と笑う瀬戸川さんだが、この旅行を機に南房総に別荘を建て、約10年もの間月に一度は南房総に通うことに。それでは瀬戸川さんは南房総のどんなところに魅かれたのだろうか。
「私が感じてきた南房総の良さは、『静けさ』『美しい自然』『温暖な気候』ですかね。単に観光地と捉えると他の有名な地域には及ばないところもありますが、通ったり、住んだりする地域としては抜群の環境だと思います。正月やお盆のハイシーズンも含めてほとんど毎月きては、何をするわけでもなく、家族でのんびりと過ごしていました。サイクルツーリズムも、こうした角度からリピートするほど味わいを増していく南房総の魅力を伝えていきたいと思っています。」
「地方創生」と現場とのギャップを感じ、地域活性化を次なる人生のテーマに
南房総には観光地というイメージもあるが、最近では2地域居住や移住の地としても注目を受けている。瀬戸川さんが移住前に肌で感じてきた暮らしの視点から見た南房総が、瀬戸川さんのプロデュースする”観光”に通じていることは間違いないだろう。しかしなぜ、前職を辞してまで地域おこし協力隊の道を選んだのだろうか。
「外資系の証券会社で引退が早いことは決して珍しいことではありません。私も50歳を迎えるにあたってその先の人生を考えるようになりました。その頃ちょうど叫ばれはじめたのが『地方創生』というスローガンです。当時仕事で中央官庁と関わることが多かったのですが、どこへ行っても『地方創生が盛り上がっている』と話しています。しかし、週末南房総を訪れ、地域の人と話をして景色を見ていた私としては、『地方創生』が現場に行き届いているとは思えなかったんですね。そこで、第二の人生は南房総の地域活性化に捧げようと心に決め、会社を辞めて2016年の春に南房総市に引っ越してきました。「南房総を良くできずに日本なんて良くできない」という思いです。
当初地域活性化につながる事業を起こそうと考えていましたが、そんな時に地元の新聞で知ったのが『地域おこし協力隊』の募集です。募集条件が原則40歳までだったので担当者の方を困らせてしまったかもしれませんが(笑)。”インバウンド観光プロデューサー”という肩書きや地域の人々の協力もあって、これまで比較的スムーズに事業が進んできました。しかし、地域の財政がこれまでのように新しいことに挑戦できるのもあと数年とみています。時間はありません。今こそ広域で話し合い、この地域の「観光」をどの方向で進めて行くのか決定しなければならない時にきています。”
リタイア後に南房総でスローライフを送る人も多い中、瀬戸川さんの移住がその真逆を志向していたことには驚いた。もちろん南房総の癒しが瀬戸川さんのライフスタイルに欠かせない要素になっていたことは間違いないだろう。しかし、瀬戸川さんは余生を楽しむために南房総に移住したのではなく、むしろ南房総における本来の「地方創生」とは何か、自ら現場で挑戦するために第二の人生をスタートさせたのである。
そんな瀬戸川さんの思い、そして南房総の未来を考える人々とともに生まれた「南房総サイクルツーリズム協会」。サイクルツーリズムに興味のある方は、ぜひ一度「平群クラブハウス」に足を延ばしてほしい。協会の会長は、オリンピック出場経験を持ち、JCF(日本自転車競技連盟)強化コーチでもある鴨川在住の高橋松吉さんが就任し、高橋さんの同行するツアーやイベントも次々と企画されている。最後に以下の動画をご紹介したい。ロードバイクの乗り手は会長の高橋さん。きっと南房総が「サイクリストの聖地」であることがお分かりいただけるだろう。
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