数字が突きつける故郷の20年後「原村ってやっていけるのかな」
中村さんのご両親が原村でペンションを始めたのは、中村さんが生まれる約一年前のこと。当時、世の中はペンションブーム。原村にもペンションビレッジが作られ、多くの観光客で賑わいました。
しかし今、ペンション経営者の高齢化により、営業しているペンションは3割ほど。空き家も目立つようになりました。
故郷がなくなってしまうかもしれない、という危機感が、中村さんの活動の根底にあります。
「これからこの地域がどれだけ衰退していくのかを、実数値でみるとものすごいんですよね。10年、20年の間に、人口が3〜4割減っていくわけで。日本中がそうなんだけど、そうなったときに、じゃあ原村ってやっていけるのかなって。」
ITに出会い、起業。実績を積んだ20代。
大学進学で上京して以降、東京でweb関係の仕事をしていた中村さん。いつ頃から原村を意識し始めたのか聞くと、「最初から」とのこと。
「大学ではじめてインターネットに出会ったときに、原村で使えると思ったんです。21歳くらいだったかな、原村の役場に行って、『ECサイトを作ったらどうですか?』と提案したことがあります。『ECサイトって何?』って感じで全く取り合ってもらえなかったんですけど(笑)。若造が何言ってる、実績積んでから来いって雰囲気もあったので、じゃあ実績積んできますって、東京でいろいろやってきました。」
インターネットの可能性を感じた中村さんは、大学を中退、専門学校でプログラミングの勉強を始めます。その後、友人とweb制作をしているうちに企業から声をかけられ、学生でありながらIT企業の仕事を請け負うように。24歳で起業し、それ以降web関係の仕事を続けてきました。
東京の仕事で先端技術を学びつつ、頻繁に原村に帰り、2013年に原村出身・在住の若者とフリーペーパー「ヤツガタケノート」を刊行。2013年当時の原村では、webがまだ生活に浸透しておらず、まずはフリーペーパーで情報発信を始めたのです。2014年、多くの人が日常的にwebを使い始めたところで、webメディア「ハチモット」(http://8mot.com)とECサイト「ハチカッテ」(http://8katte.com)を開設。現在は「ヤツガタケノート」は休刊し、主にweb媒体で情報を発信しています。
2016年に合同会社ヤツガタケシゴトニンを立ち上げた中村さん。自社メディアの運営の他、八ヶ岳エリアの観光業者のブランディングやwebサイト構築、イベント開催など、事業内容は多岐に渡ります。
原村をはじめ、北杜市や諏訪市などの行政、複数市町村で構成される観光連盟の仕事も幅広く手がけ、今や八ヶ岳エリアの観光業界に欠かせない会社になりました。
「21歳の時に担当級だった人たちが、今は課長級になって一緒に仕事してる。webの必要性への理解も高まって、いろいろやりやすくなったかな。」
2017年からは「八ヶ岳ヴィレッジマーケット」を開催。原村ペンションビレッジのすぐ近く、八ヶ岳自然文化園にて、4月末から10月中旬まで週替わりで様々なお店が並ぶ“八ヶ岳の定期市”です。主に毎週日曜日に原村で開催されいます。
お店は、プロフェッショナル(飲食店や衣類、クラフト作家など)、ファーマー(農家)、ワークショップ(雑貨作り、気功体験など)、パフォーマンス(マッサージ、占いなど)の4種類。地域住民も気軽に参加できるよう、フリーマーケット枠も設けられています。
八ヶ岳を愛するつくり手がこだわりの商品を持ち寄るマーケット。観光客だけでなく、地域住民からも愛されるイベントとして定着しつつあります。
“個”の活躍を、「持続的な発展」につなげる。
中村さんが目指すのは、「持続的な発展」。そのためには地域で「いろんな人がいろんな分野で活躍している状況」が必要だと中村さんは言います。
「どんなにすごい人がいても、どんなに人気の場所があっても、“個”に頼っていると、そこが弱ったときに地域も衰退してしまう。力を入れる分野も、ペンションだけ、農産物だけ、アクティビティだけ、ではダメで。
僕たちの役割は、いろんな人がいろんな分野で活躍している状況を作って、地域全体が発展する仕組みを作ることだと考えています。」
それぞれで奮闘していた“個”をつなげ、地域全体を発展させる。
今後は、ペンション・観光業関係者を対象とした社団法人の立ち上げも企画しているそう。他地域との連携を推進したり、経営やマーケティングなど、学習の機会も作る予定だと言います。
「今、僕らの世代ががんばるとき」次世代に伝えたいこと
「うちの親父は20代でこのペンションを作ったんです。今、若者が失敗してでもチャレンジできる空気ってないですよね。お金も借りられないし、現実も知ってるし。でも、それじゃつまらない。下の世代が何かやりたい!と思ったときに、挑戦できる土壌を作りたい。そのために今、僕らの世代ががんばるとき、と思ってます。」
インタビュー中、何度も口から出てきた「世代」という言葉。この言葉には、世代を超えて地域を守りたい、という中村さんの強い想いが表れています。
「極論、父親の世代が作った景観や自然、地域のブランドを、“維持する”のが僕らの役割だと思っています。この世代で何かを急激に変えることはできないけれど、今の景観、今の自然を、できればより良い形で、次の世代に繋ぐことはできる。ダメになる予測があるなら、極限まで抗いたい。ただの居住区ではなく、観光地区として原村が発展していくために、自分たちの世代に何ができるか考え続けています。」
今、原村をはじめ八ヶ岳山麓では、中村さんの想いに共感した若者が多くの取り組みを始めています。中村さんの幼馴染、伊藤拓也さんもその一人。同級生が地元のために頑張っている姿に背中を押され、2018年、東京での仕事を辞めて原村にUターン。新たな挑戦を始めました。
ペンションビレッジに、新たな文化拠点「K」(ケイ)を立ち上げる-。
2018年、原村のランドマークとも言える観光施設、八ヶ岳自然文化園のレストランを“新たなカルチャースペース”にしようというプロジェクトが始まりました。
グランドオープンは6月30日。プロジェクトに携わるのは、中村さん、伊藤さんをはじめとする原村出身者のほか、県外から移住してきた若者たち。地元民の目線と、移住者の目線。地域住民にとっても、観光客にとっても居心地の良い新しい空間を作るべく、奮闘真っ最中です。
精力的に活動を続ける中村さん。原村の魅力はどこにあるのか伺うと、真剣な眼差しでこう語ってくれました。
「朝の空気や夜の空気。自然の中の湿度。森のにおい。山から登る朝日。山に沈む夕日・・・人生の半分は東京にいたけど、原村に来ると『あ、自然ってこういう感じね』って思い出すんです。写真を見ただけではわからない、肌を伝わってくる感覚を、多くの人に感じてほしいです。」
東京で培った力をフルに活かし、故郷のために尽力する中村さんの周りには、地元出身者、移住者を問わず「地域のために何かしたい」という若者が集まってきます。地域を愛する気持ち。失敗を恐れず挑戦する姿勢。中村さんが次世代に伝えているのは、自然や景観だけではありません。