ジェットコースターがきっかけで、ゲストハウスをつくることに
古くは舟運で栄えた湊町、那珂湊。港から駅に向かって西に真っすぐ伸びる道に交差する道「那珂湊本町通り」があります。この道には、現在も「那珂湊本町通り商店街」として、多くの商店が立ち並んでいます。そんな本町通りを少し大洗方面に進んだところに、今年4月「ゲストハウス 編湊(あみなと)」が誕生しました。オーナーはかすみがうら市出身の渡邉直太さん、横浜市出身の明加さんご夫妻。ひたちなか市に縁もゆかりもなかったというお二人はどのようにして那珂湊での開業に至ったのでしょうか。
・渡邉 直太(ワタナベ ナオタ):株式会社 ラッズ 代表取締役
2014年6月にかすみがうら市にて、前身となる広告デザイン事務所を創業。2018年4月にひたちなか市那珂湊地区にて、「ゲストハウス 編湊」オープン。「茨城から日本と世界を盛り上げる」が理念。座右の銘は「見る前に跳べ」
・渡邉 明加(ワタナベ ハルカ):神奈川県横浜市出身。
結婚をきっかけに、2015年4月より茨城県民に。元特別支援学校教員。人(特に子ども)とかかわることが好きなので、今後「ゲストハウス 編湊」でも福祉や教育の観点から何かできたらなぁと模索中。
「実は、私はジェットコースターマニアとして全国を回っていたのですが(笑)、よくゲストハウスを利用していました。ゲストハウスだと共有スペースがあると思うんですが、そこで出会う人たちがすごく個性的な人ばかりで、その時間がすごく楽しくて。そういった体験からぼんやりと、いつかこうした場をつくれたらいいなと考えていました。」
仕事をするようになってからもその想いがあったという直太さんですが、観光地としての茨城県には魅力を感じず、初めは県外で物件を探していました。そんな時に、直太さんは難病を患います。これまでの生活は一変。鬱々とした日々を過ごしていた時に市から見舞金を受け取れることを知りました。
「額は少ないですが、気持ちの沈んでいた私にとって、それがどれだけ勇気づけてくれたか分かりません。調べてみると廃止する自治体も多い中で、茨城県は全市町村で見舞金を出している数少ない県なのだそうです。それがきっかけで、恩返しと言うと大げさですが、もっと魅力を伝えたり、茨城県に人を呼び込みたいと考えるようになりました。」
こうして物件探しを県内にシフト。地元である石岡で物件探しを行い3年が経っても、なかなか良い物件が見つかりませんでした。そんな時に、友人と那珂湊を訪れます。
「子どものころから何度か遊びに来ていた土地ではあったので知ってはいましたが、改めていいところだな、ここでゲストハウスをできたらいいな、と妻や友人と話していたんです。それで物件の検索サイトで検索して一番上に出てきたのがここなんです。(笑)」
人が集まる場所に。編湊に込めた想い
さらに、決め手になったことがありました。
「物件を内見していたときに、隣に住んでいるお母さんが『ここで何かやるの?』と声を掛けてくれたので、『ゲストハウスやろうかと思ってるんですけど、どうですかね』と話すと、『いいね』って賛同してくれたんです。」
地元で物件探しが難航した理由の一つに、その地域にゲストハウスに対する理解が広まっていないこともあり、外国人が泊まる、よくわからない人が来るといったイメージによって断られるケースも多かったそうです。そのため、ゲストハウス自体を知っていたことに加え、応援までしてくれる人がいることに感動した直太さんと明加さんは、ここで開業することを即決。一部を業者に任せましたが、約1年をかけて自分たちの手で改修。そして2018年4月28日にオープンを迎えました。名前も人が集う場所になるようにと想いを込めて「編湊(あみなと)」にしました。
「湊という字には『あつまる』って意味があるそうなんです。そこから人をつなげるといった意味を込めて編むという字と合わせました。現在は、会社の拠点をこっちに移すことができないので、予約があった日のみ開けている試運転の状態で、常にオープンできるよう、いろいろと準備をしています。その準備に集中するため、9月9日から10月8日まで宿泊はお休みする予定です。会社さえなければ、本当はこっちに移り住んでずっとゲストハウスやってたいんですけどね(笑)。」
そんな渡邉さん夫妻の目指す場づくりには理想形があります。
「今は残念ながらなくなってしまったのですが、京都に大好きなゲストハウスがありました。宿泊客よりもその宿が好きで集まってくる地域の人の方が多いんです。夜遅くなると『そろそろ帰るわー』ってぞろぞろいなくなって、残った3人だけが今日の宿泊客、みたいな。私にとってゲストハウスの“原風景”のような場所です。編湊もそんな場所になれたらいいなと思っています。」
観光資源には恵まれている那珂湊ですが、そうでなくても「ゲストハウスそのものが人を呼べるコンテンツになる」と話す直太さん。今後のことについても聞いてみました。
「宿泊客だけでなく、地元の方がふらりと入れるような場所にし、ここで色々な交流が生まれてくれるのなら、これ以上に嬉しいことはないですね。もっと地域の人を巻き込んでイベントを開催していきたいです。今年は『MMM』の会場にもなりますし、少しずつでも地域との接点を増やしていきたいですね。」
「MMM」とはひたちなか市南部を走る「ひたちなか海浜鉄道(湊線)」沿線を盛り上げようと、アートイベントとして2009年に誕生。毎年8月中旬~9月上旬にわたって開催されています。この「MMM」の最大の特徴は企画~運営までを学生が行うこと。美術系の大学に通う学生ではなく、明治学院大学や慶應義塾大学、地元の常磐大学をはじめ、関東の様々な大学の学生が運営スタッフとして活動しています。
アートを通じて那珂湊を盛り上げる「MMM」
中村泰之さんは、アートを通してこの地域に関わり続けている人の一人。現在は東京都新宿区にある、宝塚大学東京メディア芸術学部に勤めながら、「MMM」のプロデューサーとして、東京と那珂湊の2拠点で活動を行っています。
・中村 泰之(ナカムラ ヤスユキ):大阪出身。
筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻総合造形分野修了。稚内北星学園大学情報メディア学部専任講師、常磐大学人間科学部准教授を経て、現在宝塚大学東京メディア芸術学部准教授。現代美術家。近年はワークショップの創作・プロデュースを中心に活動している。
「はじめは『MMM』への出展アーティストとして、2011年に参加しました。私の作品はワークショップ形式で行うものなのですが、展示が終わった後も『ドゥナイトマーケット』という毎月第3土曜日に湊本町の商店街で開催しているイベントで度々ワークショップを行っていました。そこに学生を連れていっていた関係で次の年から『MMM』の運営の方にもその学生たちが参加して、そういうことが続いていたら『MMM』を立ち上げた田島悠史さんから『中村さん、お願いします』という感じで押し付けられて(笑)、今はプロデューサーという責任者をやっています。プロデューサーといっても、学生主体のプロジェクトなので、私たち大人はあくまでも脇役です。契約、申請をはじめ、必要なときだけアドバイスしています。」
越後妻有の「大地の芸術祭」や瀬戸内海の「瀬戸内国際芸術祭」など、今や地域でのアートイベントは全国で開催され珍しくありません。そんな中で、入れ替わりのある学生が主体となりながら、10年間毎年開催されていることを考えると中村さんのような大人の存在、そして何より地域の人々の存在はとても重要に感じます。
「地域の方々は、面倒見がよく気さくな方が多いですね。加えて、学生が運営するということで、逆に心配して手伝っていただいたり、至らない部分を叱っていただいたり。大人同士ではなく、学生が動いているからこそ、という点は多いと思います。」
「MMMは、作家と地域の距離が近いため、対話を通じて作品が身近に感じられるのも特徴の一つです。期間中、作品は『那珂湊』駅と街の中心部、ひたちなか海浜鉄道の車輌内でも展示されるのですが、参加する作家は展示場所選びも兼ねて3月頃に見学ツアーなど複数回にわたって地域に足を運び、そこで感じたことを作品に反映していきます。その分、展示場所やイベントの準備、期間中まで地域の協力なしには成り立ちません。立ち上げ当初からよくしてくれている地域の方がとても多いのですが、それは言ってしまえば那珂湊住民の一部にとどまっています。しかし、回を重ねる度に、那珂湊における『MMM』の認知度も高まってきたように感じます。」
「MMM」は2012年にはいばらきイメージアップ大賞の奨励賞を受賞、2014年に行われた「ひたちなか市誕生二十周年記念典」でも表彰されるなど、地域にも認められるようになりました。
「また、最近は公募している作家・作品のレベルも上がってきました。それは純粋に嬉しいことですね。しかし、全国的に小規模なアートイベントが増えているだけに、そこに埋没しない何かを示していくことが大切ですし、これからも進化し続けていかないといけないと考えています。」
「MMM」では近年、年に1度のアートイベントだけでなく、街なかの観光案内板のデザインや、観光関連のアプリ開発、また地元の高校生とともに地方創生関連のプロジェクトを進めるなど活動範囲が広がっています。さらに、「MMM」の開催母体である実行委員会も法人化を予定。中村さんも引き続きそのメンバーとして「MMM」と那珂湊エリアに携わることになっています。アートを通じて人の流れを作り出し、10年という歳月を経て街の風景の一つとなってきた「MMM」。中村さんはさらに次の何かを生み出そうとしています。
「開催前は那珂湊まで片道2時間ほどを毎週のように通っていますが、開催直前はほぼ那珂湊に住んでいるようなものですね。これからも那珂湊というフィールドで何ができるのか、地域の人たちと一緒に考えていきたいと思っています。」
中村さんに、そんな「MMM」に参加後、那珂湊に移住し地域と正面から向き合いながら活動する女性を紹介していただきました。アーティストの臼田那智さんです。
那珂湊に移住。那珂湊の祭りとアートで向き合う。
・臼田 那智(ウスダ ナチ):美術家。1991年生まれ。東京都出身。
茨城県ひたちなか市那珂湊地区を拠点に活動を行う。2014年 武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業。作品を作ることで、人と繋がりそこで生まれた変化を引き出していく。そのようなアートプロジェクトを全国各地で継続中。
「大学卒業後、東京のアトリエで作品づくりをしていたのですが、2016年頃に那珂湊にある『湊保育園』の壁画制作を手がけたんです。制作にあたり那珂湊に一カ月ほど滞在していた時に『MMM』の存在を知りました。」
その後、2016年の「MMM」に参加し、那珂湊で300年続くという「八朔祭り」の風流物、屋台(山車)を模した「プラスチック プラクティス」という作品を制作。「MMM」の制作で滞在するうち、那珂湊の土地柄にほれ込み、2017年に那珂湊に移住。現在も全国で滞在型の制作活動をしながら、那珂湊では「プラスチック プラクティス プロジェクト(PPP)」として継続して行っています。
「私は、当時MMMでの作品をつくる時に、その土地の歴史や、街にただよう空気感を無視した一方的な作品づくりはしたくないと考えていました。そういった観点で那珂湊の街に滞在して見ていると、那珂湊には神社が多くて、300年近くもつづく『那珂湊天満宮御祭禮』別名『八朔祭り』という街には欠かせない伝統神事があることを知りました。それと同時に、『八朔祭り』は誰からも愛される祭りではあるものの、費用や担い手の確保に苦労しているということも聞いたんですね。」
「八朔祭り」のハイライトは派手で豪華な屋台(山車)が練り歩く「門付け」と「町渡し」。かつて、舟運で繁栄した港の豪商や網元たちが派手さと豪快さを競い合った風習もあり、莫大な費用がかかる祭りともいわれています。また、伝統や格式を重んじ伝承していくこともこの祭りの特徴。臼田さんはそんな祭りと、祭りを愛する地域の人たちから感じることがあったといいます。
「『プラスチック プラクティス』は、“見せかけのしきたり”という意味で名付けました。祭りに参加している子どもたちにとって『八朔祭り』は、その回数を重ねるたびに原風景としての色彩が強くなっていくと思うんです。また、その強さが次の世代につなげる大きな力になっていくのだろうなと。であれば、伝統を頭で理解せずとも、体験や形から入る―つまり見よう見まねでもいいので屋台を曳く真似事をみんなでやってみましょう。それを続けていくことで、伝統は体に自然と染み付いていくのではないかと考えました。」
2016年は街中から廃材を集め据え置きの屋台を作りました。2017年には実際に車輪をつけて動く子どものための「子ども屋台」を制作。子どもたちに要らないおもちゃを持ち寄ってもらい屋台を装飾するオブジェを作るワークショップを開催しながら作り上げていきました。さらに、今年は7月末に行われた「みなとフェスタ」にも「八朔祭り」の屋台がでるということで、地元の大工さんに協力してもらい「子ども屋台」を改良。子どもたちと祭りのお囃子や太鼓を学ぶワークショップなども開催し「みなとフェスタ」で子どもたちと子ども屋台を曳いたといいます。
臼田さんの「プラスチック プラクティス プロジェクト」。那珂湊に移住してきたからこそ、「10年単位で続けることで初めて意味が生まれるプロジェクトなんです。」と語ります。どういうことでしょうか?
「そもそも私は制作する場所や、制作している過程で出会った人、そこで起こった出来事にも意味があると考えています。さらに言うと、完成後に作品がどのような影響をもたらすかということも重視しています。一時的な滞在では、門戸の広い住民の方との交流にとどまってしまいますが、移住したことで、地域コミュニティの中だけで生活している住民の方々と交流できるようになる可能性が生まれました。」
「今は門戸が狭い人でも、10年続けた先にはきっと、日常生活でつまらないことが面白いと思えるような、少しの変化が訪れる可能性を感じています。ここからの時間の経過で起こってくる変化をすくい上げて記録していくのが、このプロジェクトです。」
多くの人が集まる、那珂湊のハレの日「八朔祭り」。拠点を移したことで那珂湊の中の人となった今、臼田さんのプロジェクトと地域がどのような化学変化を起こしていくのか楽しみです。
「臼田さんも編湊によく遊びに来てくれるメンバーの一人ですよ。」と渡邉さんご夫妻。
一見違った活動も人が出入りし、集まることでゆるやかにつながっていきます。人の往来が激しい湊町は、今も外から来る人にも温かいと聞きますが、那珂湊には今も変わらずその温度が息づいていて、それが様々な場所を介して外から来る人にも広がっているように感じます。あつまる街、那珂湊には、そんな絶妙な温度感がありました。