工事・DIYは未経験。やる気と行動力はあります!
2020年8月のある日、館山に3人の若者が集まりました。ヨルダンで子どもたちに美術を教えていた26歳の森由貴さんと、キルギス共和国で子どもたちの体験教育などに関わっていた25歳の城谷俊太さんは福岡出身。コロンビアで建築コースの学生に日本の都市計画を紹介していた35歳の鈴木悠介さんは、埼玉出身です。
活動地域も出身も異なる彼ら3人を結び付けたインターンシップ募集告知を出したのは、「館山リノベーションまちづくり」事業の実行委員でもある漆原さん。
→漆原さん取材記事:「街をクリエイティブで元気にする。「館山ミナトバラックス」漆原さんのリノベーションプロジェクト
募集の内容は、「元診療所をリノベーションしたホステル『tu.ne.Hostel(ツネホステル)』に住み込みながら、現在進行している複数物件の内外装の施工をサポートしてほしい」というものでした。
古いものが好きな森さんは、再生する技術を習得したら、いつか祖母のアパートをリノベーションできるかもしれないと思い、応募しました。城谷さんは、「チャレンジしつづける大人でありつづけたい」と言う漆原さんを紹介した記事を読み、そう思っている人の近くに行きたくて応募。もともと土地開発の仕事をしていた鈴木さんは、漆原さんの空き店舗をリノベーションして再利用する活動が前職と似ていると感じ、興味を持って応募しました。
漆原さんは、集まった3人に対し、最初に4つのお願いをしました。
①活動に向けてチーム名を付けてください。活動するにはまずチーム名が必要です。
②活動内容をFacebookで発信してください。活動しても発信しないと意味がありません。
③週に一度、地域の活動に参加してください。「ただ見学させてください」だと訪問先にも迷惑なので、何かお手伝いさせていただいて、それから見学させてもらってください。
④MINATO BARRACKS(ミナトバラックス)で行う夏祭りを仕切ってください。
MINATO BARRACKSは、漆原さんが運営している昔ながらの長屋のようなコミュニティをイメージした、DIY可能な賃貸物件です。
なんとなく、「何でもやるっぽいから」という理由で「萬隊」という名称に決めた3人でしたが、漆原さんの提案で次のように意味を後付けしました。
町づくりに必要といわれる「よそ者、若者、ばか者」のよそ者の“よ”。リノベーションまちづくりのメインエリアが六軒町なので、六軒町の“ろ”。地元のパートナーになれるような存在でいたいという思いを込めて、パートナーズの“ズ”。
こうして、正式に萬隊と命名されたのでした。
床張り、タイル貼り、草刈り、清掃活動、何でもこなす萬隊
萬隊が作業をしているメインの現場は元薬局ビルの「CIRCUS(サーカス)」で、シェアハウスにリノベーション中です。取材した際にはタイルを貼ったり床板の節穴を埋めるためのパテ作業をしたりと、それぞれが仕事をこなしていました。
新たな作業に入るとき、漆原さんが萬隊に集合をかけました。現場に集まった萬隊に対し、これからここの床張りを行うこと、なぜ床の位置を上げて床張りを行うのか、水平を出すにはどうすれば良いかなどを丁寧に説明。その様子は、DIYスクールの先生と生徒のよう。
リノベーション作業以外にも、地域の清掃活動や、子どもたちを対象にした磯釣り体験の手伝い、地元NPO主催による戦跡巡りツアーにも参加して、地元の人々との交流も深めています。
夏の田舎仕事といえば、やはり草刈り。ということで、草刈りをお願いされる案件が多かったとのこと。印象に残っている活動内容に挙げられたのは、広大な土地の草刈り作業。作業中は瞑想状態で疲れを感じませんが、終わってからどっと疲れが出てきたそうです。
もう一つ印象に残っているのは、シェア里山をテーマにした古民家「ヤマナハウス」での活動。
「ヤマナハウスの運営メンバーとゲストたちが一緒になって裏山に階段を作る作業は、年齢に関係なくみんなでワイワイ作業ができてよかったですね。とにかく人の豊かさが印象的でした。」
「このまま任期が終わるのはもったいない」との想いが館山と3人をつないだ
2020年3月17日~4月1日の間に、それぞれの国から帰国した萬隊メンバー。共通しているのは、数日前に急遽帰国を言い渡され、お世話になった人たちに挨拶することも叶わず帰国しなければならなかったことです。1~2ヵ月で戻ることができると思ったため、最小限の荷物だけで帰国していました。
森さんはヨルダンで活動を始めてまだ半年も経っていませんでした。ヨルダンではロックダウンの解除後にコロナ感染者が増え、日本でも感染者が出ていたので思ったよりも待機期間が長引きそうだと判断。このまま任期が終わるのはもったいないと、国内での活動に目を向けました。
城谷さんはFacebookで、キルギス共和国の知人がコロナに感染したことや、毎日誰かが亡くなっている状況を知り、辛い気持ちでいっぱいでした。だからこそ、今の自分にできることは何かを考えて前に進もうと思い、応募を決めました。
鈴木さんはオンラインでコロンビアの人たちとコミュニケーションを取っていて、やり残していることがあるからまた現地に戻りたいという思いがありました。しかし9月25日に任期が終わり、コロンビアに戻ることなく任期満了となってしまいました。
よそ者の若者たちが見た館山・南房総の景色
週末の館山市は、午後5時に「Forever Love」が防災無線から流れます。館山市出身でX JAPANのリーダーYOSHIKIさんが作曲した曲です。特別にX JAPANのファンではないけれど、この曲が流れて来るのがいいと萬隊メンバーが話してくれました。
駅から六軒町へ向かって歩くと、古い建物がおしゃれで台湾に似ているという声も。海が近いから気軽に貝殻を拾いに行けるのもいいと話す森さん。釣り好きな鈴木さんは、釣りざおを持って歩いて釣りに行けるのが楽しみなのだとか。城谷さんは、館山に来て写真を撮る機会が増えました。雲や空、夕日の色が鮮やかで、見ていて飽きないそうです。
他にも、サイクリングやSUP(スタンドアップパドルボード)、サーフィンなどのアクティビティ、海の中で青く光るウミホタルの美しさや、イノシシやクジラの肉がジューシーで本当においしかったことなども印象的だったようです。ここで生まれ育った地元の人にとっては当たり前の景色が、よそ者には輝いて見えるのかもしれません。
ここでの出会いが人生を変えた!?当初の任期を終えて次のフェーズへ
9月末までの予定で活動していた萬隊ですが、10月に入っても彼らの活動は続いていました。国際協力機構(JICA)の今後の方針が11月時点で未定であり、館山で関わっている物件のリノベーションが完成するまで残りたいという声があったため、延長することになったのです。
萬隊の3人を受け入れた漆原さんに、それぞれの印象を伺いました。
「青年海外協力隊の任地に館山があったら来たい」と声を上げた森さん。漆原さんから見た森さんは、繊細な作業が得意だけれど、木を切るための道具であるチェーンソーやコンクリートに穴をあける工具のハンマードリルも扱う大胆さを持ち合わせているそうです。現在も萬隊として活動中です。
城谷さんは記録と発信力がある“メモ魔”で、漆原さん曰く「コツコツ努力してコツコツ成長する男」だそう。新卒で協力隊員になり、来年の1月で任期を終えるので、仕事探しのため一旦館山を離れることになりました。寂しさと期待を込めて、漆原さんは「帰ってくると思っている」とつぶやきました。
鈴木さんについて、「ザ・ガテン男」と漆原さんは言います。解体や運搬などパワーが必要な作業をバリバリこなし、萬隊の中でも頼れるお兄さん的な存在なのだとか。
9月末で青年海外協力隊の任期も終わり、ここ館山でのインターンも一旦終了しましたが、その後「ニュー悠介として館山に再上陸した」と漆原さんからのうれしい報告が。漆原さんが新規事業として立ち上げようとしている不動産業と、飲食店の立ち上げに関わることになったのです。
やってみたら何か発見や出会いがあるだろうと思い、「正直あまり期待せずに募集告知を出した」と言う漆原さんですが、個性的なメンバーが集まり、3ヵ月後には新規事業立ち上げの仲間を得ていました。
今回の萬隊企画は、一時帰国中の青年海外協力隊員たちにとっても、漆原さんにとっても、想像以上に得るものがありました。漆原さんはこの活動をここで終わりにせず、第二期萬隊、第三期萬隊として、欠員を補いながら不定期に継続していくことを考えています。
今日も館山のどこかで、萬隊が活躍していることでしょう。