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2015年3月31日 山田智子

若者達が未来を語る場 ― 民宿「しんき」の梅田孝規さんが語る“利島愛”

東京都利島(としま)村。伊豆諸島にある、島の80%が椿に覆われている椿の島だ。
人口は約300人。20、30代の約8割が移住者というこの小さな島は、なぜこれほど人を引きつけるのか? その答えを探すべく、西風吹きすさぶ冬の利島へ向かった。

 

荒波が育てる海の宝

椿とならぶ利島の特産品が海の幸だ。利島の海産物は、とにかく大きい。利島の伊勢エビの平均サイズは200〜300グラム。中には500グラムを超えるものもあるという。料亭などで出される伊勢エビの多くが100〜150グラムというから、いかに利島の伊勢エビが大きいかご想像いただけるだろう。サザエも、通常100g前後だが、利島では時に1kgに達するものが捕れるというから驚きだ。

魚を捌く梅田さん

民宿「しんき」の夕食には、伊勢エビの刺身をはじめ、利島の海の幸がずらりと並ぶ。梅田さんがその日提供するものをいけすから上げ、さばいてくれる。黒潮の荒波に揉まれ、身がぎゅっと引き締また伊勢エビやサザエは、ぷりぷりこりこり、そして甘い。島でしか味わえない新鮮なおいしさだ。

伊勢海老の刺身

東京で深まった、漁師という仕事への誇り

人口300人の利島には高校がない。そのため、利島の子どもたちは15歳で島を離れることになる。高校卒業後は大学や専門学校などに進学し、そのまま就職。島に戻ってくるケースは少ない。
お祖父さん、お父さんと、代々漁業協同組合の組合長という家に育った梅田さんは、子どもの頃から「漁師になりたい」と決めていた。中学卒業時に水産高校に進もうと考えていたが、「親心として、もっと幅広い将来があった方が良いということで、普通科の高校に行かせてもらいました。お父さんとお母さんの愛情ですね。」

船

大学では水産の研究をし、卒業後は内定をもらった築地市場にある仲卸業者に就職するつもりでいた。
「でも、うちは(漁業だけじゃなく)民宿もやっているので、築地で働くより料理の勉強をした方がいいんじゃないかと急に思いました。がっつり就職活動をしていたんですけど、料理かなと思い立って、調理師の専門学校に行くことに決めました。」

結局は行くことがなかった築地の会社だが、梅田さんには忘れられない出会いとなった。
「最終面接で、面接官の方に『君がうちの会社で働いてくれるのはうれしいんだけど、本来だったら漁師の息子さんなんだし、うちで働いてほしくはないんだよね』って言われました。『捕る方で継いでくれないと、うちの会社やっていけないんだよ』って。
そういうことがあったので、普通だったら電話で断るんだけど、直接会わないといけないと思って会いに行ったんです。『うちは民宿と漁師をやっていているので、まず専門学校に行って(料理の勉強をして)から、漁師を継ぎたいと思います』と伝えたら、握手をされて。『ありがとう。君みたいな若い人が漁師を継いでくれるなら、うちの会社も安泰だよ』って言ってくれたんです。」

その言葉は、漁師になった今も梅田さんを支えている。

島を離れて感じた、利島の恩恵

調理師の専門学校を終えた梅田さんは、鎌倉の日本料理屋で修行をした。
「目的が利島で民宿をやるってことだったので、鎌倉の料理長もそれを理解して、3年働いて利島に帰るっていう条件で誘ってくれました。だから「利島に帰ります」と言った時も快く受け入れてくれました。」
その料理長とも不思議な縁でつながっている。
「料理長は、若い頃『稲ぎく』という日本料理屋で修行をしていました。『稲ぎく』では天ぷらに利島の椿油を使っていたらしいのですが、そこでの料理長の仕事がてんぷら油の調合だったんです。先輩から『利島の椿油は本当に高いものだから、大事に使わなきゃけないよ』と言われていて、その印象がすごくあったそうです。
だから、『俺の実家は利島です』って言った時に、『ひょっとして椿油の利島なの?』っ意気投合しました。」

「東京では本当にいい人たちに巡り会えました。それも行かせてくれた両親のおかげだし、離れていても利島の恩恵を受けていると感じています。」と振り返る梅田さん。

一度外に出たからこそ身にしみた家族や先人達への感謝。東京での出会いは、利島への愛を強くした。

梅田さんのUターンで解像度を増す 利島の“未来地図”

飲み会

民宿「しんき」の食堂にはしばしば、利島の将来を考える若者達が集い、酒を酌み交わす。
梅田さんが兄と慕う、島の先輩村議会議員の村山将人さんもその一人。東京で働いていたが、梅田さんより一足早く利島に戻っていた。「帰るんだったら、利島をどうにかしないとねという話をしていました。戻ってきたら既にやっている人がいて、じゃあ僕らもやらないといけないと加わったら、おもしろいぞって。大変だけど、やりがいがあります。」

“既にやっている人”の一人で、埼玉から利島に移住し、今は村役場に勤める荻野了さんは言う。
「移住者の仲間と一緒に、今後、利島をどうしたら良いかを考えて、僕らなりにいろいろと活動してきました。けれど、最終的に僕らが行き着く結論は、核となる島出身者がいないとダメだということ。そんな中、村山将人さんや梅田孝規くんが戻ってきてくれました。30代、20代の島出身の人が加わったことは大きいです。」

伊勢海老を仕分ける梅田さん

今、利島は動いている。移住者が増え、椿や海産物の販路も広がりつつある。5年ほど前から移住者を中心に取り組んできたことが徐々に成果を上げてきた。さらに、1年半前に利島出身で漁師でもある梅田さんが加わったことで、利島の“未来地図“はより解像度を増した。
そんな熱く、頼もしい若者達を梅田さんの父・寛さんと母・厚子さんも暖かい目で見守っている。
若者と年長者、島出身者と移住者。ともに手を取り合い、先人たちが守り伝えてきた利島の財産を受け継ぎ、より価値を高めながら次へとつなげる。今、利島は動いている。

民宿「しんき」

取材先

漁師・民宿しんき 梅田孝規さん

利島出身。29歳。
鎌倉の日本料理店で修行後、1年半前に利島にUターンし、家業である漁師と民宿を継ぐ。お父さんの寛さんは現在漁港組合の組合長を務める。
横浜出身の奥様と2人の子どもの4人家族。利島には4世代が暮らす。

利島の好きなところ:人・海・山

山田智子
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私が紹介しました

山田智子

山田智子岐阜県出身。カメラマン兼編集・ライター。 岐阜→大阪→愛知→東京→岐阜。好きなまちは、岐阜と、以前住んでいた蔵前。 制作会社、スポーツ競技団体を経て、現在は「スポーツでまちを元気にする」ことをライフワークに地元岐阜で活動しています。岐阜のスポーツを紹介するWEBマガジン「STAR+(スタート)」も主催。 インタビューを通して、「スポーツ」「まちづくり」「ものづくり」の分野で挑戦する人たちの想いを、丁寧に伝えていきたいと思っています。

人と風土の
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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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