「なぜか農業が頭から離れなかった」信濃町で農業を始めた理由
生まれも育ちも長野県長野市という斉藤さんですが、信濃町との接点は幼い頃からあったようです。その接点とは信濃町に住み、県の職員として働いていたおじいさんの存在。夏休みや冬休みになると、おじいさんの家に遊びに行っては、お休みの間じゅう自然の中で過ごしたと言います。
しかし、その経験が現在の斉藤さんに直接に結びついているわけではありません。高校のとき、トロンボーンに惚れこんだ斎藤さんは短大で音楽を学びます。そんな矢先、おじいさんが定年を迎え、平成8年に農業法人を立ち上げました。
「2年間、音楽を習ったんですけど、食べていくにはなかなか厳しいから、自分の方向性が見えなくて……。そんなときに祖父が法人を立ち上げたタイミングだったので、『農業やってみようかな』っていう安易な気持ちで始まったのがきっかけです」
安易な気持ちで始めた分、長くは続かず、2年で農業を辞めてしまい、全く違う建築業界へ就職しました。建築の世界で3、4年修行を積んだ斉藤さん。しかし、斉藤さんの頭の中に占める“農業”の割合は日に日に大きくなっていきました。
「次やるからには継ぐ覚悟で臨まなきゃいけない。しばらく悩みましたが、祖父に頭を下げて、もう一度農業の道を選びました。ただ、どうして農業なのかって聞かれても、わからない部分があるんですよ。今となっては農業以外考えられないんですけどね」
こうして平成16年から、斉藤さんの挑戦が始まりました。
「地域の自然の力を借りる」日本一のお米の背景にあるもの
決意を以て、農業の道に戻ってきた斉藤さんの落影農場で作るお米は、「米・食味分析鑑定コンクール」の国際総合部門で25年・26年大会2年連続最高賞を受賞。すなわち、日本一のお米として評価されました。そんな日本一のお米をつくる農家さんの背景には、どんなものがあるんでしょうか。
「地域の自然の力を借りるっていうのは、僕が大事にしているやり方ですね。信濃町って寒暖の差が激しいんですよ。夏場の日中は汗ばむくらいの陽気ですし、夜は窓を開けたまま眠れないくらい冷え込む。それがお米にとっては良くて、日中はあたたかい光を受けて、エネルギーを作って、寒くなるとそれを糖分に変えようとするから、甘くなるんです。それができるのは信濃町ならではのことなので、最大限に活かしていきたい」
そうした斉藤さんの取り組みは、お米だけに留まりません。雪深く寒い信濃町の自然を利用して作る「雪中キャベツ」もその1つです。
元々は、「年間を通してスタッフを雇用するためにはどうしたらいいか」と考えたのがきっかけだったと言いますが、その打開策として、「雪中キャベツ」にたどり着いたのは斉藤さんの思想を鑑みれば自然な流れだったのかもしれません。
「やっぱり自分で起業をしていると、売れなかったり、色々と壁にぶつかるじゃないですか。でも、それが良くて、『どうしたら売れるのか』『どうしたら問題を解決できるのか』と考えて、自分のスタイルを作っていくところにすっごくワクワクするんですよ」
そう語る斉藤さんは、本当にワクワクとしている様子。日本一に輝いたお米づくりの背景には、信濃町の自然を活かす考え方、そして、困難を困難と捉えないポジティブさがありました。
「“何もない”を楽しめるなら」信濃町に住んで感じる幸せ
その土地の気候を活かした農業を意識されている斉藤さん。自然豊かな信濃町で暮らしていて良かったなということには、どんなものがあるんでしょうか。
「毎年5月の連休前くらいになると、無風になるときがあって、田んぼの水がピタッと落ち着くんです。そのときに鏡みたいになった水面に、黒姫山が映った風景には毎度言葉を失いますね。そんなとき、信濃町に住んでいて良かったなぁと思わされます」
また、地域の人との関わりあいにも、嬉しいエピソードがあると言います。
「とある取引先が繁忙期になると、お米がなくなるので『とにかく納品してくれ』と言われて、無理してでも納品するようにしていたんです。そして、あるとき、僕がイベントで200人分のご飯を炊くことになってホテルの釜で炊いてもらったんですよ。お金を払おうと思ったら、『いつも無理を聞いてくれているからいいよ』って。普段口にはしないけど、ちゃんと見ていてくれるんだなって思いました。地域に根付いて関係性を築いてきたからこその嬉しさを感じました」
黒姫山のほかにも野尻湖や蕎麦など、自然や観光資源に恵まれている信濃町。その環境に価値を見出している一方で、まだまだ可能性が広げられるとも話していた斉藤さん。「移住する人にメッセージを伝えるとしたら」との問いかけに、こう答えてくれました。
「新しく入ってきてくれる人には、やりたいことをガンガンやってほしいですね。出る杭は打たれるかもしれないけど、気にしないでやってほしい。それから、これは僕たちが心配することじゃないんですけど、信濃町は飲みに行っても、タクシーが23時までしか走っていないとか、移住してくる人にとっては何かと不便なことも多いかもしれない。でも、そんな風に何もないことを楽しめる人、自分のキャンバスを描いていける人にはぜひ来てほしいと思います」
100歳を超えても現役の農業人でありたい
「子どもたちの存在は大きいと思います。やっぱりこれだけ自分が全力で取り組んでいることなので、子どもたちには『農業やりたい』って思ってほしいし、『親父はカッコよくやってんだぞ』っていうことを見せたい。だから、落影農場のユニフォームも作ったし、作物だけではなく、見た目のカッコよさにもすごく気を遣っています」
一農業人として、そして一人の父親として、情熱を持って自身の仕事に取り組む斉藤さんですが、その挑戦は日本だけに留まらないようす。今後の展望を聞いてみました。
「フランスのパリに自分のお米を出したいんです。これはずっと言っていることなんですが、農業大国のフランス、美食家が集まるパリで自分のお米を試してみたい。小ロットでも良いんです。そこに自信を持って出せるお米づくりをしていきたい」
その上で、100歳を超えても農業に携わりたいですねとも話してくれた斉藤さん。笑顔の中にも、目には決意のような強さが宿ります。
「好きや嫌いで測れない。農業はもう僕の身体の一部なんです」
自然を敬い、その土地の良さを活かしていこうとする農業。斉藤さんが志向する農業の形は、自身のものだけに留まらず、いつしか“信濃町のスタイル”として根付いていくのかもしれません。