南房総市の「シェアセカンドハウス」から生まれた、「日本」と「地方」を結ぶシェアオフィス
「HAPON新宿」は、「日本」と「地方」、その両方を結ぶ「絆」をテーマとした、会員制のシェアオフィスだ。登録した会員は、単にそこを仕事の拠点とするだけなく、他の会員や来訪者と交流し、つながっていく。ビジネスパーソンを結ぶ「オフィス」であるのと同時に、「コミュニケーションの場」でもある。
「ここを作るきっかけは、もともと、僕が仲間と一緒に南房総市に借りていたシェアセカンドハウスにあるんです。それはビジネスとは全然関係の無い、本当に別荘みたいなものだったんですが、そのメンバーの一人がある時、『東京でシェアオフィスをやってビジネスにしたらどうか』と言い出したんです。セカンドハウスのシェアから得たノウハウを、ビジネスの場所のシェアに応用したらどうか、ということですね。こうして生まれたのが、この『HAPON』です。」
「HAPON」が掲げる「日本」「地方」というコンセプトは、どこで生まれたのだろうか。
「それは、やろうと思い立った年がちょうど2011年、震災の年だったというのが大きいですね。震災が起きて、僕らも『シェアオフィスなんてやっていていいのか?』っていう葛藤があったんですけれど、これはこれで、地方に活力を生み出す何かの力になるかもしれない、という結論に至って。ちょうど地域や絆に対する意識が高まってきた時だったし、自分たちも南房総という地方に縁を持っていたので、『日本』と『地方』をテーマにしたシェアオフィスにしよう、ということが決まったんです。」
そのテーマを象徴しているのは、オフィス内の「オープンスペース」に置かれている、日本列島を象ったテーブル。これは立ち上げメンバーの一人である彫刻家がデザインしたもので、普段はバラバラに配されているが、イベントや会合の時には一つに組み合わされて、日本列島の形になる。
日本のハブである東京、東京のハブである新宿。そこから出会いが生まれて、地方との交流に結びついていけば。そんな思いが、「HAPON」には込められている。
セカンドハウスから本拠地へ。つながりが出来たことで比重が逆転
永森さんはこの「HAPON」の立ち上げメンバーであるのと同時に、経営陣の一人。普段は「HAPON」のブランディングなどの戦略立案や渉外的な仕事を担当している。これとは別に本業としてウェブディレクターの仕事もしており、東京に来るのも、主にその打ち合わせが目的だ。
東京都武蔵野市に生まれ育ち、最近まで都内に暮らしていたという永森さん。南房総に関わり始めたきっかけは、前述のシェアセカンドハウスだったが、今では生活の重心をすっかり南房総市に移し、東京に来るのは1~2週間に1度程度だという。
「僕はもともと、都内で広告や環境関連、今も続けているウェブディレクターの仕事をしていました。その頃、東京からの“エスケープ”の場所として訪れ始めたのが南房総との出会いです。リフレッシュする場所が欲しくて、南房総に行っていたんですよ。最初はワンルームの部屋を借りていたんですが、そのうち『もっと広い家がいいな』と思うようになってきて、友人だった(HAPONの提案者でもある)栗原(栗原雄平氏)とシェアをして、一軒家を借りたんです。それが、さきほど話をしたシェアセカンドハウスです。」
こういった経緯で、南房総市に「シェアセカンドハウス」を持つことになった永森さんだが、だんだんと比重が南房総に傾いていく。
「向こうに滞在するようになって、調べてみると、田んぼのシェアオーナー制とか、面白いプロジェクトが沢山あったんですよ。そこに参加したりするうちに、どんどん関わる人も増えてきました。知り合いが増えて、土地のことも知っていくと、関わりの形がだんだん変わってくるんです。僕の場合、当初は日常から”エスケープ”するのが目的だったんですが、そのうちに、向こうの人に会うためとか、農作業をするために行くという感じになってきて。最終的には、移住という結果になりました。」
南房総ならではの”異次元感”と”スキマ”
東京の仕事をしながら、田舎で暮らす。それだけなら東京近郊の別の地域も選択肢にあがるはずだ。永森さんが南房総に惹かれたのは、南房総が持っている独特の「異次元感」と「スキマ」にあるという。
「確かに『東京から近い』ということだけなら、ほかにも場所はあります。でも南房総には、独特の『異次元感』があるんですよ。東京から南房総市に行くには、アクアラインを使うルートが一般的だと思いますが、海に潜って、橋を渡って、陸に上がって、やっと着くじゃないですか。だから短時間の移動でも、すごく遠くに来たような、異次元に来たような感覚になるんです。これが東京の人にはすごく心地いいんです。僕もそう思ったし、友人達もみんなそう言っています。」
確かに、他の近隣地域の場合、東京からのルートは陸路だけであることが多い。風景は連続的に変わっていくので、最終的には大きく変わるとしても、どうしてもインパクトが弱い。その点、南房総エリアを訪れる時のインパクトは強烈で、他ではなかなか味わえないものだという。
「もう一つ思っているのは、南房総って意外に、『色がありそうで無い』というところなんです。海も山もあって、温暖なので何でも育つんだけど、『南房総といえばこれだ』と誰もが知っている特産品というものがあまり無いんです。中途半端に豊かというか。でも、その分だけ、南房総には“スキマ”があると思うんです。新たなことをやるだけのスペースが残っているんですよ。場所も、人も、コンテンツも。その分だけ、チャンスがある場所だと思っています。」
ベースを南房総市に移して、東京のことが好きになった
週末だけの”エスケープ”から、”移住”という形に転換した永森さんの南房総との関わり方。1日の過ごし方は、どうなっているのだろうか。
「朝起きて、午前中はPCワークなどをこなして、忙しくなければ、午後は畑に出ています。古民家に住んでいるとやる事が何かと多いので、DIY的なこともやっていますね。で、夕方に戻ってきて、またPCワークをやって、と。だいたいそんな感じですね。あと、うちはお風呂も薪なので、お風呂を入れるだけでも一仕事なんです。その分、気持ちいいんですけれど。」
一見すると毎日同じことの繰り返しで、退屈な生活のように思われるかもしれないが、そんなことはないと永森さんは言う。
季節が変わることで畑の作物も変わり、景色も変わる。自分が変わらなくても、自分で変化を求めなくても、自然が移ろい、時間が流れる中で変化が生まれる。電気の力で明るさも季節も平準化された東京とは、明らかに異なる時間が流れているという。
「南房総では季節を肌で感じられて、1日の時間の流れも、明るさや暗さで感じられるんです。これも移り住んで気がついた、田舎ならではの豊かさだと思います。」
そういう日々や時間を過ごすうちに、東京に対する考え方も変わってきたという。
「東京があまり好きじゃない時期があって、だから南房総にも来ていたんですが、今はベースが南房総なので、前よりも東京が好きになりましたね。里山暮らしをしていても、やっぱり時には刺激が欲しかったりするし、いろんな人と会ったりしたいじゃないですか。だから今の僕にとっては、東京は刺激と楽しさがある場所なんです。それを自分のさじ加減で体験できるというのも、南房総を含む『ニア東京』に暮らす醍醐味ですね。」
一歩踏み出してみれば、意外と道は開ける
永森さんのような2拠点生活を実現するには、実際に何から始めたらいいのだろうか。
「2拠点にはいろんな形があると思うんですが、いきなり全部を成し遂げようとは思わないことですね。僕みたいに週末だけ来るとか、田んぼのシェアオーナー制に参加するとか、マリンスポーツに来るとか、最初は何でもいいんです。自分が関わりたい関わり方から始めた方がいいです。もちろん、いきなり『移住します!』っていうのもありますが、あまり気負わないほうが成功するんじゃないですかね。仕事についても同じで、東京の仕事を南房総でやるなら、既成事実を作っちゃえばいいんですよ。今まで通りに仕事を続けながら、『実は南房総にいます』っていう事実を積み重ねていくんです。考えすぎずに、できるかたちでやってみた方でいいと思います。」
まずは、「なんとなくこの土地がいいな」と思ったところに通い続け、つながりをつくれば、意外とそこから道が開けるのだと永森さんはいう。
「この『HAPON』でも、けっこう移住イベントがあるんですが、その参加者でも多くの人が、仕事を理由に踏みとどまってしまうんです。でもそれって、先のことを考えすぎていると思うんですよ。その点、2拠点というのは都合のいい言葉で、何段か階段になっていて、登りたい人が登りたいだけ登ればいいんです。一気に登り切っても、一歩ずつでもいい。だから、迷いすぎて踏み出せないのであれば、まずは2拠点に『踏み出してみる』のがいいと思います。僕だってそうでしたから。」
古民家をまるごとリノベーション。「シェア里山」で東京と南房総市をつなぎたい
永森さんは現在、シェアハウス時代からの仲間を中心に、南房総市の古民家を改修し、「シェア里山」として再生するプロジェクトを進めている。
「今までやっていたシェアセカンドハウスは、言ってみれば“普通の家”だったんですけれど、今度は築200年とか300年とか言われている本物の古民家を、畑も裏山も含めて、まるごと手を加えています。メンバーにはいろいろなスキルを持った人がいるので、たとえば法律専門のメンバーにはこの物件に合わせた特別な契約書を作ってもらって、こちら側から大家さんに提案したり、建築家のメンバーには設計をしてもらったり、農業を勉強しているメンバーには畑の土壌改良をしてもらったり、それぞれの能力を生かしながらプロジェクトを進めているところです。」
仲間と一緒に作り上げるシェア里山プロジェクト。永森さんはここにどんな将来像を描いているのだろうか。
「2016年の春ぐらいに、まずは自分たちが泊まれるようにしたいですね。メンバー12名と、その仲間も含めて泊まれるように整えて、その後、東京から来る人たちが里山体験をしたり、イベントやワークショップをしたりできるような場所になっていくと面白いなと。このシェア里山をベースに、東京の人を南房総に呼び込むためのムーブメントを作っていきたいと考えています。」
南房総市の暮らし・2拠点居住に関心がある人にとっては、今後の動向が見逃せないプロジェクトだ。