キーワードは「遊休施設」と「耕作放棄地」
「僕らの最初は、ケーキ屋だったんです。ケーキを仕入れて売る、セレクトショップです。でもケーキを売っているうちに、『自分たちでも作りたいね』という話になって、埼玉に製造工場を持ちました。そしたらまた『材料にこだわりたいね』ってなって、今度は農家から材料の直接仕入れを始めたんです。それを機会に生産者との交流が生まれ、意気投合して、『夏イチゴ』の生産を始めました。これは時期外れのイチゴで、収穫時期が夏と秋なんですよ。」
こうして販売から製造、さらに農業生産へと、“第三次産業 → 第一次産業”へのシフトを加速していった「DIGLEE」。現在では逆に農業部分の比率を多くして、イチゴの生産、流通、卸売を主軸としながら、余剰分のイチゴでお菓子や農産加工品を作っているそうだ。
そうした過程で考えたのが、埼玉県にあった菓子製造工場の、地方への移転。移転先で、夏イチゴに加え冬と春のイチゴ生産も始めようと考えた。イチゴ生産で必要な条件は、消費地に近く温暖なことで、候補地の一つが南房総市だった。
「実は、いくつかの自治体から声がかかっていたんですよ。その中で南房総を選んだ理由は、『遊休施設がある』ということがまず一つでした。最初、僕らは廃校になった小学校を利用しようと考えていたんですが、市役所の方に相談したら、『もっといい施設があるよ』ということで、ここ(旧 丸山交流センター)を案内してくれたんです。実際に行ってみたら、僕らの事業にぴったりと合っていた施設だったんですね。それが決め手の一つです。」
そしてもう一つ見逃せない理由が、耕作放棄地の利用だ。
「実はうちのイチゴハウスは、使われていないハウスを利用しています。以前はカーネーションやトマトを育てていたそうなんですが、高齢化でやめてしまったそうです。ここを貸してもらえれば、持ち主の方は管理しなくていいから楽ですし、もちろん賃料も入りますよね。僕らとしても設備投資が5分の1くらいで済みます。お互いにメリットが大きいんですね。」
最初の頃は耕作放棄された土地やハウスを探して、個別交渉をしていたというが、今では逆に「借りてくれませんか?」という声が次々と届くようになったという。
地元の「高齢者・障がい者」を積極的に雇用
こうして南房総市への機能移転を決めた寺川さん。企業の地方移転には、当然ながら従業員の地方移住がともなう。埼玉県から南房総への移転と言えば、その距離は150キロ以上。特に家族を持っている従業員にとっては大きな決断になる。その点はどのようにクリアしたのだろうか。
「それが意外なことに、従業員の反応はとても良かったんです。以前から会社のビジョンをちゃんと共有していたし、南房総って、なんだかんだ言っても東京から比較的近いんです。でも、のほほんとした空気もありますよね。そういうところで暮らしながら、ちゃんとビジネスができるっていうことで、従業員も良く思ってくれたみたいです。」
寺川さんの会社の社員は、40代から50代が中心。家族を抱えた人も多いそうだが、ほとんど全員が家族で移住したそうだ。とはいえ、埼玉から移住してきた従業員数は、現在の全従業員数のうちの15%程度。残り85%については、地元(南房総)で採用を行った。
「南房総市は(就業希望者のうち)若者がだいたい3分の1ぐらいで、逆にご高齢の方も3分の1を占めているんですね。仕事の仕組みを単純化したり、仕事の割り振りを工夫してご高齢の方や障がい者の採用を積極的に進めたので、雇用に関しても大きな問題はありませんでしたよ。」
今回の取材でイチゴハウスを見学させていただいた際、高齢者の方が孫の世代ほどの若者と笑顔で言葉を交わしながら、生き生きと働いている様子がとても印象的だった。
移転には地元の方の信頼が必要
東京から地方への企業移転に際して気になる点として、地元の方とうまく付き合えるかどうかという点が挙げられるだろう。「よそ者」である「DIGLEE」はどうだったのか。
「地元の方の信頼を得るには、まず、先方(地元)が得をするようにしたうえで、『今度はこういう協力してくれませんか?』とお願いするのが大事なんです。だから事業の1年目、2年目はけっこう気を遣いましたね。農家さんや地主さん、協力してくれる会社さんなどがまず得をできるように、いろいろと心を砕きました。」
こうして地元の信頼を得てきた、寺川さんと2つの会社。今では寺川さんは地元の有名人となり、初めて会った人からも「寺川さんでしょ?」と声をかけられるまでになったそうだ。
「だから悪いことはできないんですよ(笑)。地方の人って、最初はどうしてもよそ者という見方はするんです。でも、それをクリアすればコロッと態度が変わって、完全に協力体制になるんです。特に南房総の方は、元々すごく優しい。警戒心が高いだけなんです。だからこそ、一人が理解してくれれば早いですよ。一気にひっくり返っていきます。『あいつ大丈夫だよ』って感じで、どんどん伝わっていくんです。」
2拠点生活を始めて、新しい「視点」が生まれた
こうして信頼を勝ち得たその背景には、やはり、経営者自身が拠点を移し、南房総に軸足を置いた生活をしていたこともあるのだろう。
「南房総や地方でビジネスをしたいなら、選択肢は多分2つだと思います。完全に移住してしまうか、半移住かですね。僕はどっちかと言えば後者です。今は週に4~5日は南房総、2~3日は東京で生活しています。実は従業員は家族ごと移住したのに、自分だけ事情があって家族を東京に残しているので、そこは笑い話なんですけれど(笑)。」
家族と離れる時間が長くなった、寺川さんの生活。しかしその生活は「親元を離れて有り難さを知る」という言葉の通り、都会と田舎の良さも、家族の絆も、従来以上に実感させてくれているのだという。
「実は2拠点生活がすごくいいんですよ。両方で暮らすということは、両方を俯瞰で見られるということなんです。ずっといる時には気づかなかったことも、両方に対して、気づくことができるんです。そこがまず、新しい発見でした。忙しい都会で過ごした後に、こういう自然なところで過ごすと、物事をじっくり考える時間ができますね。そしていざ東京に戻ってみると、『あ、これが抜けてたな』という点が見えてくるんです。だから都会にずっといる時よりも、ビジネスの効率は上がったと思いますね。」
時間に「区切り」を作れば、遊びも仕事も充実する
2拠点生活の中で、田舎暮らしも堪能しているという寺川さん。南房総での1日は、どのように過ごしているのだろうか。
「朝はだいたい7時ぐらいには会社に出て、デスクワークを1時間か2時間して、あとは畑に行ったり、工場でケーキを作るお手伝いをしたり。夕方は5時には絶対に帰るようにしています。僕が帰らないと、みんな帰らないですからね。6時には会社に誰もいませんよ。」
寺川さんをはじめ、移住した従業員や家族も、都会とは少し違った生活を楽しんでいるという。釣り、サーフィン、ゴルフ、農作業やDIYなど。中には家を自分で作っているという従業員もいるそうだ。
「仕事って、人生の一部分にすぎないですから。楽しみや遊びのあるライフスタイルの中に、うまく仕事を組み入れていけば、それでいいんじゃないでしょうか。ただ、時々は東京に出ないと、ゆっくりな時間に流されていっちゃうので、そこは気をつけています。」
ゆっくりな“南房総時間”に流されないために、寺川さんが気をつけていること。それは「時間を区切る」ということだ。
「ダラダラと残業をするのではなくて、夕方には上がりましょう、その後は遊びに行きましょう、という感じで、区切りを明確にするのが大事です。時間内に仕事をキッチリ終わらせる、という固い意志を持って過ごせば、仕事も遊びも充実した生活を送れると思います。」
南房総で作った仕組みを全国へ展開、さらに海外へ
今後、寺川さんはどんな展開を目指しているのが、将来のビジョンを聞いてみた。
「今はまだ第1フェーズなんです。イチゴ畑については、今は1ヘクタールなんですが、近日中には3.5ヘクタールまで広げる予定です。さらに、野菜も始めたいと思っています。加工から販売まで行っていきたいですね。今はその仕組みを作っているところです。」
「さらにその仕組みができたら、その仕組みをコピー&ペーストして全国に広げていきたいですね。耕作放棄地の増加など多くの自治体が南房総と同じ問題を抱えていると思っていますから。それが第2フェーズです。さらに第3フェーズは海外です。南半球で、(夏イチゴなど)今は旬じゃない時に作っているものを、ちゃんと旬の時期に作って、逆輸入し、東南アジア、中国、韓国などにも流通させたいですね。」
南房総から全国に、そして世界に。グローバルに広がる寺川さんの夢には確かな具体性があり、実現する日もそう遠くはないのでは、と思わせてくれる。