かつての宿場町に誕生したオルタナティブな空間
西会津町は福島県の北西部、新潟県との県境にあります。町を東西に横切る阿賀川に沿って越後街道が伸び、古くから宿場町として栄えました。面積の約84%を森林が占める緑豊かな環境に惹かれ、近年は若い移住者も増加中。農業が盛んで、ミネラル分をバランス良く含んだ土壌で栽培した野菜は町の特産品として人気があります。
「ITWST」のふたりが暮らす上野尻地区は、宿場の面影が感じられる古い町並みが今も残るエリア。築70年の元呉服屋だった建物をコツコツDIYし、自宅の一部をコミュニティスペース「バーバリアン・ブックス」として不定期で開放しています。
“ブックス”の名の通り、広い土間と畳敷きの小上がりには自作のZINEや自由に手にとって見られるデザイン/アートに関する蔵書がたくさん。リソグラフ印刷機やエッチングプレスなども備え、ワークショップなども行っています。
ホームページにある「お茶のみや休憩、勉強、会議、イベントなど色々な形で利用してみてください」との言葉通り、放課後の子どもたちの遊び場になることもあれば、近所のお母さんたちに向けたギター教室の会場になったりと、きちんとその役割を果たしている様子。
「毎日誰かが来るわけじゃないけど、開いている場所はあるよっていうのを伝えていけたら」と、気負わず自分たちのペースで活動する姿勢が、地域に受け入れられている理由のひとつかもしれません。
偶然の出会いが移住のきっかけに
もともと、ニューヨークを拠点に活動していた「ITWST」のふたり。西会津町への移住を決めたのは、なんとも不思議な“偶然”だったそう。
「日本に帰国してすぐの頃、これから二人でどう働いていこうかと迷っているときに、 “地域おこし協力隊” という制度があることを知って興味を持ちました。中でも自分たちのスキルでもあるデザイン分野で唯一募集をかけていたのが、西会津国際芸術村だったんです」(楢崎さん)
西会津国際芸術村(https://nishiaizu-artvillage.com/)とは、同町内にある廃校を利用した滞在型のアート施設。国内外から招いたアーティストたちの住居を兼ねたアトリエであり、彼らと町民との交流拠点やさまざまな地域活動の場として機能しています。
当時、地域に根ざし、人と直接関わりながらグラフィックデザインができないだろうか、とデザイナーとしての働き方を模索していたふたりは「ここに行きたい!」と、ピンと来たと言います。
ニューヨークの大都会から「縁もゆかりもなく、どこにあるかもわからなかった」山間の田舎町へ。結局、地域おこし協力隊には採用されなかったものの、ふたりは正式な芸術村の滞在アーティストとして西会津町を訪れ、デザインの仕事やアートプロジェクトのスタッフを兼ねるかたちで生活の基盤を作っていきました。
仕事と生活が有機的につながる西会津町での暮らし
埼玉県出身の楢崎さんと、日本での暮らし自体が初体験のウィリアムさん。西会津に来た当初はカルチャーショックの連続で、近所の方からおすそわけをもらったり、軒先に大根が干してある風景に遭遇するたびに感動していたそう。
「実は昔から田舎暮らしに憧れていたんです!実際に住んでみると自分たちのペースも保てるし、自然が身近にある気配もとても肌に合うんですよね。もう今は、西会津の全部が好き。」(ウィリアムさん)
「ITWST」として受けるデザインなどの仕事と並行して、楢崎さんは保育所、ウィリアムさんは農業アルバイトなど、それぞれ週に数日働いています。昨年から自分たちでも田んぼと畑を借りて無農薬の米・野菜づくりに挑戦しています。
「デザインと別の仕事をしているのはお金のためというよりも、純粋に興味があったから。地元の人たちが畑作業をしている姿や、とれたての野菜をおすそ分けしてくれるこの環境が、自分たちにも挑戦する機会を与えてくれました。農業は思い通りにいかないこともあって大変ですが、毎日が学びの連続です。」(ウィリアムさん)
とにかく気になったらなんでもチャレンジしてみるのがふたりの性分。しかし、実際に行動を起こすまでの原動力となっているのは、「西会津町で暮らすことそのものが新鮮で、学びにあふれているから」だと言います。
「仕事も暮らしも遊びも全部重なってる感覚かもしれません。ここは私たちが暮らす場所でもあり、仕事をする場所でもあり、誰でも遊びに来れる場所でもあります。都市に住んでいた頃とは全く違った人の繋がり方、広がり方がここにはあるように感じます。」(楢崎さん)
「デザイン業も、自分たちが応援したいと思える人と仕事をするようにしています。仕事も、僕たちにとってはビジネスというより、あくまでも暮らしの一部なんです。」(ウィリアムさん)
仕事を“暮らし”の一部に。
そんなふたりの考え方は西会津町で過ごす時間が増えるにつれ、彼らの守るべき流儀にもなっていきました。
“移住者”からの脱却を目指して
例えば、「バーバリアン・ブックス」を訪れる人の中には、「もっと賑やかなことをしたら?」「起業セミナーにおいでよ」など、親切心から声をかけてくれる人もいます。しかしその気持ちをありがたいと思う反面、複雑な思いにも駆られると言うふたり。
「外からたくさんお客さんを呼び込んだり、起業して利益を生むのもいいけれど、それより今は出来るだけ地域の人たちと同じ歩幅でこの土地に暮らしを築く事に時間をかけたいんです。“移住者”ではなく、いち生活者として。」(楢崎さん)
多くの人が持つ“移住”に対するイメージは、まだまだ特別ということかもれません。実際、メディアなどで取り上げられる移住経験者の話は華々しくやる気に満ちあふれたものが多いように感じますが、決してそうではない、ただ当たり前に暮らすことを望む、そんな移住のかたちがあってもいいのでは、と楢崎さんは言います。
「移住=起業や地域活性化というイメージが強くなりすぎると、移住自体のハードルを高く感じてしまう人もいるのではないでしょうか。何かやらなくちゃと気負う必要もないと思うし、純粋にここでの暮らしを楽しめたら。私たちの場合、自分たちのやりたいことと、地域の未来をどうサポートできるかを、バランスを取りながら考えて実践していけたらと思っているんです。」(楢崎さん)
地域からの学びが、クリエイティブの原動力
そんなふたりが今後やってみたいと思っていることがフリースクール。上野尻地区の子どもたちと触れ合ううちに芽生えた、新たな目標です。
「過疎化が進む西会津町は子どもの数が少ないんですが、美術の授業時間が少ないことにも驚きました。アートに限らず、子ども達が自由に自分自身を表現できる、自発的に学びを広げられる、そんな場所を作れないかなと考えています。学校と家以外の、サードプレイスになれたらいいですね」(ウィリアムさん)
このほか、海外から遊びに来た友人にワークショップやレクチャーを開催してもらったり、大学のゼミ合宿で来てくれた学生たちと本作りをしたり。西会津町での暮らしの中から生まれたアイデアをひとつひとつかたちにしていく「ITWST」のふたりを、地域の人たちも温かく見守っています。
「私たちがこんなに自由に暮らせるのもこの場所だからこそ」と、取材中、地域に対する感謝の言葉を何度も口にした楢崎さん。そして、「コミュニティに完璧や正解なんてないし、みんなに好かれるのはどうしても無理だけど、とにかく地域の人から学ぶ姿勢は大切にしたいんです」と語ってくれたウィリアムさん。西会津町で手に入れた暮らしの中で、「ITWST」は“移住者”から“生活者”になろうとしていました。