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2019年12月25日 ココロココ編集部

村の未来を一緒につくる~飯舘村で新たなチャレンジをする人々

2019(平成31)年4月、飯舘(いいたて)村では地域おこし協力隊1名を初めて受け入れました。村の全域が計画的避難区域に指定され、全村避難という状況に見舞われてから8年。2017(平成29)年3月31日に避難指示が解除(一部継続)され、飯舘村では今新たな村づくりがスタートしています。

かつて5,500人いた村の現住人口は、2019(令和元)年11月現在でおよそ1,000人にまで回復し、全国からの移住者も70人を数えるなど、飯舘村の未来へとつながる新たなチャレンジが始まっています。

地域おこし協力隊の隊員として村内に生活の拠点を移した松本奈々さん、飯舘村に工場&ギャラリーを構え移住も検討している鍛治職人の二瓶貴大さんご夫妻を訪ね、飯舘村での暮らしぶりや今後の展望などについてお話を伺いました。

飯舘村と関わるきっかけは大学時代のボランティア活動

福島市の出身で、大学への進学をきっかけに東京での暮らしをスタートさせた松本奈々さん。大学卒業後も都内のIT企業に就職し、SEとして多忙な日々を送っていました。

「自分がやりたいことは何か?」
仕事にも慣れ、これからの人生を考えるようなった時、大学時代にボランティアを通じて出会った飯舘村の人たちとの記憶が蘇って来たといいます。
当時、飯舘村は全村避難をしており、役場機能も福島市飯野町に移っていました。松本さんはその飯野町を訪れ、在学中3年間にわたりボランティアとして関わり続けていたそうです。

地域おこし協力隊の松本奈々さん

「地域おこし協力隊になるまで飯舘村に来たことはなかったのですが、ボランティアを通じて関わった村の方がみなさん本当に良い人たちでした」と、飯舘村との出会いについて教えてくれました。

もともと地域おこし協力隊に志願していたわけでは無かったものの、知人を通じて偶然知った隊員募集の案内がきっかけとなり、2019(平成31)年4月、飯舘村の地域おこし協力隊になりました。

面白いことができる可能性を感じた。新しい村を作ろうという前向きな姿勢に共感

ボランティアを通じて村の人や役場の職員とも関わりのあった松本さんですが、メディアでネガティブに報じられる飯舘村のイメージに対しては、自分での払拭しきれないところがあったといいます。

「飯舘村に来るまでは、村の方もどこか肩身の狭い思いをしているんじゃないかと、私も慎重になっていた部分がありました。でも実際に生活を始めてみるとそんな心配はいりませんでした。新しい村を作っていこうという前向きな雰囲気が、役場の方だけじゃなくて、一般の人にもあって。私もいろいろと面白いことができるんじゃないかと可能性を感じました」と赴任した当時の印象について率直に語ってくれました。

地域おこし協力隊の松本奈々さん

生活の拠点を東京から飯舘村に移し、困っていることや日々の悩みについて伺うと、「挙げたらきりがないと思うんですけど、もう慣れましたね」と笑いながら答えてくれた松本さん。当初は日々の買い物や、髪の毛をどこで切るか?にも悩んだそうですが、今は東京へ行ったついでに美容室に立ち寄るなど、心の余裕もできて新しいライフスタイルを楽しんでいるようです。

「東京で暮らすのと比べると、自分でやることが多いですね。まだ周りの方からは心配されて声をかけてもらったり、助けてもらったりしていますが、徐々にできることが増えてきて、少し自分に自信がついてきました。あと、今は村で新しいものを作っている方たちと会って刺激をもらっていますし、自分自身も楽しみながら新しいことにチャレンジしていける環境だと思います」と、充実した日々を送っている様子が伺えます。

SNSで村の情報を発信。現状の課題を把握して新たな提案にもチャレンジ

現在は主に村のPR活動に従事している松本さん。インスタグラムで日々情報を発信したり、土日はイベントのお手伝いをしたり、また英文学科で培った語学力を生かして翻訳のお手伝いをしたりと仕事の幅は多彩です。
飯舘村にとっても初めての隊員の受け入れで、お互いに手探りの状態から始まったそうですが、着任から半年が経ち、村の課題も共有してきた中で、次の活動に向けた提案も行っています。

トレーラーハウスの活用にも取り組む松本さん。この中で飲み会イベントを開催することも

赴任して半年の松本さんにとって、飯舘村でのチャレンジはまだ始まったばかり。任期を終える3年後のイメージについて伺うと、「クリエイティブなことに関われる拠点づくりが目標です」とのこと。地域おこし協力隊というチャンスを生かして自分の夢にチャレンジする松本さんは、飯舘村に新たな風を巻き起こしてくれそうです。

地域おこし協力隊の松本奈々さん

再利用を検討していた旧草野幼稚園に鍛冶屋の工場&ギャラリーを開設

続いて、同じく外からやってきて新しいチャレンジをしている方として、飯舘村に新しく工場&ギャラリーを構えた「刃物の館やすらぎ工房」の二瓶貴大さんご夫妻を紹介してもらいました。ご主人の貴大さんは、福島市内で刃物の製造から販売、修理まで手がける鍛冶屋さんの4代目で、お父さんの信男さんと一緒にものづくりの技術と精神を現代に伝える職人のひとりです。

「刃物の館やすらぎ工房」の二瓶貴大さん

飯舘村の旧草野幼稚園に工場&ギャラリーを構えたのは2019(令和元)年9月14日のこと。もともとは店舗のある福島市内で物件を探していましたが、大きな音が出る鍛冶屋の工場に合う物件は、なかなか市内では見つからず、3年間かけてようやく出会ったのが園舎の再利用を検討していた旧草野幼稚園だったそうです。

旧草野幼稚園

完成した工場&ギャラリーは延べ床面積で約900平方メートル。もともと幼稚園のホールだった場所には金属を溶かす炉や大きな工作機械がいくつも並び、併設するギャラリーではご主人の作品を実際に手に取って見ることができるようになっています。

大きな機械がいくつも並ぶ工場内

まるで都心にあるかのようなお洒落なギャラリーは奥様の麻美さんによる発案&デザイン。ただ商品を並べるのでは無く、手作りによって一丁ずつ作られる作品の魅力がよりいっそう伝わるようなあたたかい空間が広がっていました。

二瓶さんご夫妻と松本さん

新しい販路の開拓や付加価値の高い商品で、村に無かったビジネスを実現

かつて飯舘村にいた住民が、避難指示解除後も村に戻れない理由のひとつとして挙げるのは小売業の問題です。日用品を取り扱う商店から飲食店などのサービス業に至るまで、村にお店が戻らない状況が続いています。

「お店が無いような場所には戻れない」と言う人がいる一方で、「誰も住んでいない所にお店は開けない」と、村の課題のひとつになっています。

この課題に対してひとつの可能性を示唆しているのがまさにこの「やすらぎ工房」です。村内だけの需要を前提とした商売では無く、インターネットによる販路の拡大や他には無い付加価値によってモノが売れることを証明してくれています。

海外にも出荷される包丁

ご主人の作る包丁は主にアメリカ、カナダの北米を中心に、ヨーロッパにも一部出荷されているそうで、海外での販路を強みに、飯舘村から日本のものづくりの魅力を発信し続けています。

「かつての大量生産・大量消費の時代の波によって、画一的な商品が増える中で、手作りにこだわる鍛冶の仕事が縮小した時期もありました。でも、今はものづくりも二極化が進んできました。少量生産であっても、僕らみたいな手作りの鍛冶屋さんを求める人も増えているんです」とご主人は語ります。

人気のペティナイフは品薄の状態が続いているそう

「ゆくゆくは人も増やしていきたい」と、夢に向かって歩み続けるご夫妻の姿に飯舘村の将来が見えるようでした。

新しい村づくりが始まったばかりの飯舘村だからこそチャレンジできる!

飯舘村では現在、役場内に「移住定住交流推進対策室」が設置され、「移住・定住・交流」事業への本格的な取り組みが進められています。

地域おこし協力隊の募集も行っており、飯舘村の施設や資源を活用して、夢に向かってチャレンジする人を求めています。

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また飯舘村への移住・定住を支援する制度も充実していて、「引越し費用補助金」をはじめ、住宅を購入する際の補助やリフォーム代の補助、また新規に就農または起業する人に対しても最長2年、最大で年間120万円の補助をしてくれる等、新しいチャレンジを後押ししてくれる環境が整っています。
新しいまちづくりが始まったばかりの飯舘村だからこそ、実現できる仕事があるはずです。

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ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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