「誰もこない場所」に生まれた3つの拠点
中野市は、長野県の北部、上信越国立公園志賀高原や北信五岳など、豊かな自然に囲まれた盆地にあります。市を南東に横切る千曲川(信濃川)周辺は、中山間地域に特有の標高差と朝晩の寒暖の大きさ、日照時間の長さなどから、おいしい果物や野菜が育つと言われ、とくに巨峰やシャインマスカット、農閑期の副業として始まったエノキタケは全国有数の生産量を誇ります。
清水さん、田端さん、浦野さんが暮らす延徳地区北大熊は、専業や副業、家庭菜園など、さまざまな形で農業に携わる人が多く、民家と田畑が織りなすのどかな田園風景が見られるところ。「延徳田んぼ」が広々と広がる平地から山間へと坂を上ると、浦野さんの「ベッカライウラノ」、清水さんの「cafeTeco」、田端さんの「五岳館」が現れます。これまでは、住民以外の出入りはほとんどなかったそうですが、山の上に3つの拠点ができたことで、いまでは「あの場所? 行ってみたい!」と言われるほど知名度が上がっています。
三人三様に、自分にしかできないことを
一番最初に北大熊に引っ越してきたのは群馬県出身の浦野さん。結婚を機に夫の徹也さんの職場である長野市に引っ越し、「自然豊かで景色が良い古民家」という条件で近隣を探したところ、いまの物件に出合い、2011年に中野市民に。柱や梁を残し、丸ごと改修した古民家でしたが、「子どもが大きくなったら庭にパン屋をつくろう」という気持ちで、自宅としての改修にとどめ、しばらくは他の仕事をしていました。
二番目に引っ越してきたのは、埼玉県で小学校教員をしていた田端さん。中学校教員をしていた夫の英樹さんと、「自然豊かな場所で子育てをしよう」と長野県へ。最初の赴任校が中野市だったことから、同地区内にある教員住宅で生活をスタートしました。産休を利用しながら自宅で書道教室を行っていた田端さんは、「産休後も時間に縛られない働き方をしたい」と正規職員には戻りませんでした。現在は、2012年に開設した「五岳館」で書道教室や学習塾を切り盛りし、フリースクールで週2回、国語を教えているほか、口コミで手相を見ることも。さらに、空いた時間すべてを天蚕(ヤママユ)に費やす、とパワフルに活動しています。
「最初、剣道場をつくりたいって言っていたら、同じ地区で専業農家をしている『三ツ和農産』の清水さんに『いい場所があるぞ』と、この土地を紹介してもらって決めました。でも、ご近所の方はびっくりされて、『え、こんなところに剣道場!?』と。『こんな場所誰も来ないよ』って、みなさん謙遜しておっしゃっていましたね」(田端さん)
3人の中で一番最後に引っ越してきたのは、清水さん。清水さんの夫・ひろたかさん(以下、シミーさん)は音楽家で、有名アーティストのサポートなどを行うギタリストです。当初は東京ー福岡の「遠距離結婚」で、次は福岡市に家を借りてふたりの新居としたものの、全国をめぐるツアーや東京での仕事など、シミーさんの移動が大変に。清水さんが古い家や農のある暮らしに興味があったことから、中野市にあった築200年の古民家をシミーさんの家族から受け継ぎ、改修して暮らすことに決めました。
福岡市の繁華街から中野市へ、移住を提案された時に清水さんはどんな気持ちだったのでしょう。
「『うん、いいよ』って。シミーさんが行くところならどこでもいいと思って。それまで一回しか来たことがなかったけれど、一回こっきりでこの場所が気に入って、いきなり引っ越しですよ(笑)」(清水さん)
仲良くなったきっかけは…
清水さんが越してくる前から、ご近所の噂で「カフェをやっていた人が来るらしい」と聞いていた浦野さん。2016年3月に引っ越してきた清水さんに「みんなでお茶しませんか?」と声をかけ、5月ぐらいに3人で集まったのが仲良くなったきっかけでした。最初はみんな「はじめまして」の自己紹介から。
「そのとき初めて、田端さんは先生で剣道場をされていることや、浦野さんは、その時はお勤めされていたけど、ドイツのパン屋さんで修行されていてオーガニックに詳しくて…という話を聞きました。私も『福岡で店をやっていました。ここでまたやろうと思っています』という話をして。それが本当に最初の『こんにちは』ですね」(清水さん)
「引っ越ししてすぐは、家も大変だからお店なんて考えられないし、早くて5年後ぐらいかな、とのんびり考えていましたが、近所の方に紹介された直売所に行ったら、野菜も果物もたくさんあって、安いし、新鮮だし、おいしいし。『料理がしたい、なんか作りたい、お店しよう!』ってなっちゃいました(笑)」(清水さん)
「衝撃でしたよ。旦那さんが仕事でいないのに引っ越してきたぞ。しかも、ここでカフェを!?って(笑)」(浦野さん)
清水さんがここでカフェをやろうとしている、という噂は周りの人にも伝わり、「市街地に空いている店舗があるから、そっちでやったらどうか」とわざわざ教えにきてくれる親戚もいたそう。市街地や国道沿いなど、人通りや車通りがある場所のほうが、商売するには安心だろうと考えるのは普通のこと。地元の親戚やご近所さんはもちろん、田端さんと浦野さんも「最初は驚いた」と話します。でも、清水さんの気持ちは揺るぎませんでした。
「福岡のお店もずいぶん隠れた場所だったけど、皆さん探して来てくださっていたから、自分ができることをきちんとやっていたら、どこでもいいんじゃないかな、という気持ちがありました。ここがお店に不向きな場所っていうのはまったく気にしていなかったです。ただ、周りの方には迷惑をかけたくなかったから、ご近所付き合いをきちんとやらないと、と3人で集まった時に話した記憶があります」(清水さん)
清水さんの「カフェやります発言」に触発されて、「同じ時期にパン屋を始めよう」と浦野さんも決心。住宅の一部を工房に改装し、機材などをそろえます。
「cafeTeco」は2017年8月に、「ドイツパンBäckerei URANO ベッカライ ウラノ」は10月にオープン。田端さんはすでに道場を開設していましたが、ふたりに触発されて、翌春、道場の一角にハンドメイド雑貨店を開店。天蚕糸を使ったアクセサリーや地元作家の作品の販売を始めました(雑貨店は現在休業中)。
3人それぞれに忙しく、ゆっくり話すのは数カ月に一度。時間が合えば、同じ地区にいる同世代の女性たちが加わることもあるそうです。「お茶したりとか、お昼食べたりとか、そんな感じ。あとは、道端で会った時にちょっと立ち話するとか」(清水さん)と、つかず離れずのちょうどいい関係性を築いています。
“仕事と暮らしがくっついている暮らし”
冬の間、清水さんと浦野さんは店舗での営業は休業。定休日や休業期間中は何をしているのだろうと、オンとオフの過ごし方について聞いてみました。
「福岡にいる時からずっとそうでしたけど、もう、一日中キッチンにいるから、プライベートとお仕事の区別はゼロですね。でも、ここでは“仕事と暮らしがくっついている暮らし”ができる。住みながら、暮らしながら、家庭菜園をやったり、家をきれいにしたり、自分のやりたいことができるのが田舎の醍醐味です。ドア一枚開けたら職場って最高じゃないですか」(清水さん)
「うちは定休日(日曜)は子どもと一緒に過ごす日、と決めていて完全休業ですね。それ以外は何かしら仕事をしています。営業日の11時オープンに合わせて全部のパンを焼き上げるとなると、前日の夜の10時半起きです。それ以外の日も夜9時に子どもと一緒に寝て、朝3時半には起きてパンづくりをしています。隣町(小布施町)のカフェ『こつこつ 豆と器』さんに、一年を通してパンと焼き菓子を卸しているのと、冬は、市内の雑貨店『ゆうび西澤』さんにもパンを卸すので、結局何かしらパンを焼いています」(浦野さん)
「最初は、ドイツみたいに大体いつも同じメニューでやろう、と思っていたのですが、お客様のご要望に合わせて、どんどんメニューが増えてしまって。でも、やっているうちに新しい商品を出すのが楽しくなっちゃって。今は焼き菓子も気まぐれで並べたり、楽しんでやっています」(浦野さん)
田端さんは教師や手相師とさまざまな顔を持っていますが、一番力を入れているのは蚕。天蚕の飼育のために、隣接する山ノ内町や木島平村でも、天蚕の餌となるクヌギやコウリュウ(中国原産のヤナギ)の樹200本を育てています。日本原産で野山に生息する天蚕は、幼虫の時に脱皮を繰り返して緑色の大きな繭をつくります。そこから紡ぐ錦糸はエメラルド色に光り輝き「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれる最高級品です。
「養蚕の魅力は、生き物・命の大切さ、自然との共存を身近に体験できること。何かを自分の手でゼロからつくりだす喜びもあります。きちんとした商品にするのは難しいと思っているんです、技術もないし、すごく手がかかるので。でも、蚕に触れられる場所をつくることで、何かを生みだすきっかけになれたら、と思っています。」(田端さん)
仕事と子育てをかけもちしながら、空いた時間はすべて蚕に捧げ、「大変だけど…、大好きなことだから楽しい!」という田端さん。ゆくゆくは、特色ある教育のひとつとして、「子どもたちと蚕で遊べたらいいな」とも考えています。たとえば、学校が苦手な子どもたちが集まり、みんなで糸取りをしたり、機織りをしたり。そういった経験を糧にして「自分の世界に漕ぎだしていってくれたらいいな」と願っています。
浦野さんの息子さんは虫が大好きなので、よく田端さんの畑に虫探しにいくそう。清水さんも「機織り、やってみたい!」と、田端さんの活動を後押し。田端さんの「大好きなこと」を応援する人の輪は少しずつ広がっています。
四季折々の忙しさを楽しもう
田舎には、雪かき・草刈り、水路の管理、地区のスポーツ大会、秋祭りなど、四季折々に合わせた「忙しさ」があります。
「ゴミ出しの時間は都会と違って短いし、村のルールみたいなものがしっかりしているから、それに合わせて自分の時間を調整しています。田舎ってやることがいっぱいありますよね。家ももっときれいにしたいし、日常の掃除・洗濯・畑もしたいし。時間が足りない!」(清水さん)
「うちは群馬県と新潟県で実家が遠いので、子どもを祖父母に会わせるために、休みのたびにあっちに行ったりこっちに行ったり。そのへんだけは大変かな」(浦野さん)
田舎ならではの「忙しさ」は豊かな人間関係の構築や、地域の暮らしと環境を自分たち自身で守る原動力になっています。雪が降る時期はご近所の方が除雪機を動かして雪かきをしてくれたり、家庭菜園をやってみたいと話すと、畑を起してくれたり、種まきを手伝ってくれたり。ほかにも、田植えを体験させてくれる方や木工作業が得意な方など、いくつもの特技を持った「お百姓」がいることも、田舎ならでは。3人も地域の方に助けられたことは数知れず。そうやって助けてもらっていくうちに、いつの間にか移住者自身も「地域の人」になって、誰かを助けていくのかもしれません。
小商いにぴったりの「ちょうどいい田舎」
「そういえば、中野市のキャッチフレーズは『ちょうどいい田舎』なんだよね」(田端さん)
「確かにちょうどいい。不便さは全然ないです。福岡の友だちは『不便やろ?』って言うけど、“暮らしと仕事がくっついている暮らし”をしたい人は、迷わずここに来ていいと思います。私自身、最初は『絶対カフェやるぞ』と思って移住してきたわけではなくて、直売所に行ったり、畑をやったりするなかで、自分のできることを見つけていきました。とくにやりたいことがない人も、あまり気負わずに移住していいんじゃないかな。ここの暮らしに少しずつ馴染んでいくなかで、やりたいことを見つけていける、そういう暮らしができるところだと思っています」(清水さん)
「私の実家はもっと田舎だったから、両親は『ここはなんて暮らしやすいところなんだ』って(笑)。駅はあるし、スーパーはあるし」(浦野さん)
「お二人が先にいらっしゃってよかった。たまにお話しして、情報交換してもらえてね。カフェもいつまでお客様が来てくれるかわからないし、いつかはB&B(朝食付きのこぢんまりした宿泊施設)もやりたいな」(清水さん)
「楽しみ! わたしはちょっと前のめりだから(笑)、ふたりみたいに楽しく幸せに暮らしている人たちの話を聞けるのがありがたいです。『そうだよね、そんなに焦らなくていいよね』と思えます」(田端さん)
「わたしも。子どもが大きくなるまでは、今のペースでやっていきます(笑)」(浦野さん)
やりたいことを周りの人に素直に伝え、自らのアイデアを大切にしたことが、地域の方の共感を生み、結果的にこの場所にたくさんのお客様を呼ぶことにつながったのでは。そして、「少しずつここの暮らしに馴染んでいこう」「周りの方に迷惑をかけないようにしよう」という心遣いがあったからこそ、より多くの人が「3人を応援しよう」という気持ちになったのではないでしょうか。取材を通して、他者を思いながら自分の感覚や考えを大切にし、この場所での暮らしをとことん楽しもう、という3人の温かいエネルギーをたくさん感じることができました。
自然豊かな田舎で暮らしたい、と思って移住している方は、主要な駅が近いといった便利さよりも、畑の有無や見晴らしの良さ、家や庭の適度な広さに価値を感じることも多いのでは。今回ご紹介した北大熊のような郊外での暮らしが、ちょうどしっくりくるかもしれません。
皆さんも「ちょうどいい田舎」で、自分のスキルやアイデアにフィットする豊かな暮らしをしてみませんか。