きっかけは東日本大震災。東京に住むのは厳しいと感じた
織山友里さんは和歌山県出身。東京で秋田県出身の英行さんと結婚し長女を出産した。2011年3月の東日本大震災で東京に住む厳しさを感じ、英行さんの仕事の区切りがついたところで秋田県にAターン。現在暮らしているのは、以前、英行さんの祖父母が暮らしていた家だ。長いこと空き家だったが、秋田市に住んでいる英行さんのお父さんが手入れをしてくれていたこともあり、すぐに住み始められる状態だった。結婚前にも、2人でこの空き家を訪れており、老後はここで暮らそうと話していたが、どうせ行くなら早い方がいいだろうと、2011年7月に移住した。
「北秋田市の魅力は田舎であること。私は東京にうまくなじめなかったタイプなので、この街の過疎なところが魅力に感じました。震災の時には、東京でオムツが売り切れ、野菜もすっからかんになって物がない不便さを経験しました。この街に移住してからは、近所の方が育てている野菜をいただいていますし、東京に比べると何もないかもしれませんが、逆に何でもある気がします。子どもを育てるにも良い環境だったので、ノリで仕事も決めずに移住しましたね(笑)。現在、主人は森吉山ダムの広報館で働いていて、ダムの事をみんなに知ってもらうために、イベントの企画をしたりしています。よく田舎には仕事がないと言われますが、意外にありますよ。けっこう何とかなるものです(笑)」
田舎には、スキルアップの機会が溢れている
都会と田舎では生活様式は大きく異なる。東京では雪かきをすることもない。一方、北国では雪で閉ざされてしまう冬に備えて、山菜を缶詰にしたり野菜を漬物にして保存するなど、生きるため人々の知恵が積み重ねられてきた。移住後、色々と不便なこともあったが、それが逆に面白いと友里さんは言う。
「都会に比べて楽で住みやすいですね。家は広いし、ちょっと外に出れば山が見える。移住してからの数日は、トイレの汲み取り、家にいても寒いことなど、所々に不便さを感じていました。ただ、その不便さを面白くも感じていて。不便な方が自分のスキルが上がり、耐性も付く!電化製品に頼らない生きる力がついていきます。雪は1、2年目が特に多い年で、徐々に少なくなっているので、5年目でもまだ楽しんでいます。カメムシが多いのには、心が折れそうになりました。1年目に大量発生で電灯のひもが見えなくなるくらいくっついて、捕っても捕っても無駄みたいな状況で。それ以来、カメムシへの免疫がつき、今ではなんとも思わなくなりましたね(笑)。」
「不便な中に知恵が溢れています。ネットで検索しても出てこない情報が盛りだくさんですね。漬物にとても詳しいおばあちゃんに話を聞いたり、山でキノコを採ったり、野菜を自分の手で育てたり、そういうスキルアップの機会が多いんです。『にほんの里100選』に選ばれた根子集落という地域があるんですが、そこの同世代の女性と友達になって、キノコのことを教えてもらいました。サモダシ、ブナカノカ、天然マイタケなど売っていないものばかりで、キノコってこんなにあるんだって。こうやってまた一つ、また一つと知恵がついてきています。」
”自分ができること”でお返しをしていきたい
移住すると直面するのが文化や習慣の違い。秋田弁はテレビでは標準語の解説テロップが入れられてしまうほど訛りが強く、高齢者の話す言葉は特に聞き取りにくい。
「地域のコミュニティについては、ある程度、覚悟して来たところがありますが、ご近所の方々は、元々ここに住んでいたおじいちゃん、おばあちゃんの身内だということもあって、皆さんよくしてくれて、そんなに苦労はしなかったです。ただ、この街の方言はフランス語に聞こえるので、言葉については苦労しましたね。特にこの辺りはとても訛っていて、何が分からないのか分からない。そんな感覚でした。今では大分聞き取れるようになりましたが。」
「この街に移住してから、野菜や漬物などをたくさんいただくようになりました。もらうばかりで何かお返しをしないといけないと考えるんですが、差し上げるものがないんです。ある日、隣のおばあちゃんがカセットテープとCD-Rを持ってきて、このカセットをCDにしてくれないかと相談されて、それなら私にもできる!と。他にもインターネットで調べたり、”おばあちゃんたちができなくて私ができること”でお返しをしています。そういう物々交換もあるのかと、移住してから気付かされましたね。」
女性の力で地域を盛り上げる
秋田に戻った英行さんは地域を盛り上げようと活動を始めた。元々映像の専門家なので、内陸縦貫鉄道のDVDを作ってプロモーションをしたり、現在はコミュニティFMを立ち上げようと奮闘している。そんな英行さんの影響で、友里さんも地域活性に関わるようになった。
北秋田市には「*menoco(きらめのこ)」という地域を盛り上げる活動をしている30代女性グループがあり、友里さんもその一人。そのつながりから、市の広報誌で「バタもっち」の4コマ漫画を描くことになった。「バタもっち」とは北秋田市の特産品「バター餅」のゆるキャラだ。この漫画は市のホームページ内「広報きたあきた」やフェイスブックの「バタもっち愛女子会」でも見ることができる。
「*menocoは若い女性が楽しむ姿を発信する活動です(笑)。小さい時からイラストを描くのが好きで、この話があった時はとても嬉しかったですね」。
森吉山ダム広報館には、地元のお母さんたちによる喫茶スペース「喫茶ねもりだ」がある。市から根森田集落に依頼があり、織山家を含む地元の4家族で組織された根森田生産組合で運営している。コーヒーやサンドイッチのような軽食を出していて、営業は4月から11月まで。
「『喫茶ねもりだ』でこの辺りのおばあちゃん世代の方と交流をしています。この根森田集落の若者の中で私が一番おばあちゃん達の事に詳しいと思いますよ。この集落は30世帯ないくらいで、20代は見かけません。おじいちゃん、おばあちゃんが多い高齢地域なんです。」
アウトドアは究極のインドア
織山家では薪ストーブを使用している。自分の山から必要な木を切り出し乾燥させて薪にする。友里さんは、元々インドア派で、東京にいる時はキャンプに行くこともなく火を起こした経験もない。それが移住してからは必要に迫られ、薪割りをこなし火起こしも今では朝飯前だ。
「キャンプに行っても何の不便も感じなくなって、アウトドアが楽しいと思えるようになりました。何もない不便なところでどうやって過ごすのかを考えることが楽しいですね。森吉山には桃洞の滝という有名な滝があるんですが、たまにそこまで、森の中をずっと一人で散策したりします。一見、アウトドアに見えると思いますが、そこは究極のインドアなんですよ。森の中を歩くと、引きこもれる感覚がありますし、それがとても気持ちよくて。そういうのはこの街に来ないと絶対に味わえなかったですね。春夏は若葉が出て緑が美しく、秋は紅葉、冬は雪化粧した街の風景が美しく、どの季節も飽きません。」
地域に、もっと子供が増えてほしい
秋田暮らしを満喫している友里さんに、移住して困ったことを聞いてみた。
「唯一困ることは、病院ですね。子どもが熱を出したりすると車で30分くらいの病院まで行かないといけなくて。集落の中には、救急の時は1時間半かかる秋田市の病院まで行く方もいます。あと、地域にもっと子どもが増えてほしいですね。歩いて行ける範囲に同じ年の子どもがいないので、子ども同士で遊べる機会は他の街に比べると少ないかもしれません。小学校は車で10分くらいの阿仁前田にあるのですが、全部で60人程度で、この4月に上がる子は5人、長女の学年は9人しかいません。中学はさらに遠くまで行かないといけなくて、どっちもスクールバスで通うことになります」。
移住を考えている人に「大丈夫だよ!」と伝えられるゲストハウスを作りたい
精力的に活動する友里さんは、2017年に広い家を改装し、宿泊ができるゲストハウスの運営を計画中だ。リフォームは*menocoの柳原まどかさんにお願いしている。東京にいるころからゲストハウスをやりたかったという友里さん。以前、富士山の麓でゲストハウスをやるという計画があったが、実現には至らなかった。この家ならできるというのも移住の決め手になった一つだそう。
「私達夫婦は二人とも人見知りで引っ込み思案なのですが、本当は人と関わりたいという、少し変わった性格で(笑)、孤独好きの寂しがり屋なんです。また、外からたくさんの人が来てほしいという思いもあり、ゲストハウスをきっかけに移住者も増えたらいいなと思っています。自分と同じように、都会での暮らしに厳しさを感じて、田舎への移住を考えている人もいると思うんです。そんな方々に『大丈夫だよ!』と伝えられる、そんなゲストハウスになるといいなと思っています。私がそうだったように、引きこもり気味の性質の方は田舎があっていると思いますね。人との距離が物理的に遠い。何でも自分でやらないといけないから結果的に体が動く。すると心身ともに健康になります(笑)。私は完全なよそ者ではないので助かっているところはありますが、コミュニケーション能力は必要かもしれないです。でもそれは必要になれば自然に出てくるものなので、心配しなくても大丈夫だと思います」。
「これからも、心地よい不便さを楽しみながら生活をしていきたいですね。あれも無い、これも無いではなく、無いなら自分で作ればいいやぐらいの気持ちでいられれば一番楽しいですね。それに人を巻き込んで(笑)。みんなで楽しく生活できたらいいなと思っています。」
自然体な姿が魅力的な織山友里さん。今日もまた一つスキルアップをしている。