いわきの地に8代続く農家が目指す「自然農法」
いわき市の北部、夏井川に沿った味噌野地区で、約3ヘクタールの土地を耕している白石さん一家。その8代目として、現在代表に立っているのが白石長利さんだ。白石さんはこの地に生まれ育ち、祖父と父が働く背中をずっと見続けながら、いつしか自分もまた、農家の主となることを志していたという。
いま、白石さんが力を入れて取り組んでいるのが「自然農法」。化学肥料と農薬を一切使わず、自然のあるがままに育て、「旬」に収穫をするという農法だ。白石さんが自然農法に切り替えたのは、家業を継ぐことを決めた13年前だったという。
「自分が将来のことを考えるようになってきて、たまたまその時、有機栽培とか、無農薬っていう言葉が出てきたんですね。でも、うちは昔からずっと、親父も化学肥料ってそんなに使っていなかったんですよ。だから、うちも自然栽培でいけるんじゃないかって思って。」
ふとした「思いつき」でスタートした自然農法だったが、それ以来、白石さんの畑には一切、農薬も化学肥料も撒かれていない。
「有機肥料は少しだけ与えるんですが、それもほんの僅かです。一番多い施肥というのも、苗を植えるときに、植える場所にスプーン1杯分ぐらいを目印として置くぐらいのものですから。いい土と水分さえあれば、野菜は育つんです。うちでは水も一切与えていません。自然の雨だけですよ。」
無農薬、無科学肥料だけでは美味しくならない。「旬」に収穫することが大切
自然農法で育った野菜は地中深くまで根を張り、たくましく育つ。太陽を求めて大きく広げた葉は、緑色以外にもいろいろな色合いが混じりあい、生命力にあふれた表情をしている。白石さんは「試しにひとつ」と収穫してくれたキャベツの芯を抜き、芯の周りのいちばん若い部分を私達に食べさせてくれたが、それはとても甘く、滋味にあふれていた。
「どうです、美味しいでしょう。でも無農薬だから美味しいってだけじゃないんです。旬だから美味しいんですよ。自然農法では、その土地に合ったものを育てて、旬の時期に収穫することが大切なことなんです。」
そんな白石さんの畑では、周りよりも少し遅れて「旬」がやってくるのだという。
「自然農法だと突発的な肥料成分が無いですから、育つスピードは遅くなります。だから(天候による)リスクは高くなるんだけれども、味や品質に関しては、自然農法のほうが安定しています。実はこのへんはブロッコリーの産地で、ほかの農家さんは12月までにだいたい収穫を終えてしまうんですが、うちは1月、2月が収穫の時期なんです。」
取材日は雪が舞うあいにくの天候だったものの、その下でも青々と、力強い自然の息吹を見せていた白石さんの野菜。ブロッコリーの収穫はほぼ終わった後だったが、収穫した株の脇からも、小さなブロッコリーの花芽が顔を出していた。
「この小さいやつは、俺は“チビッコリー”って呼んでいるんですけれどね、これがまた美味しいんです。これも自然栽培だからこんなに出てくるんですよ。これをまた収穫したりして、4月中旬ぐらいまで収穫物があるんですけれど、それが終わるとトラクターでガラガラとやって、残渣(ざんさ)を微生物に分解させて、次の養分にします。次にここに作付をするのは、8月下旬からなんですよ。なので、基本的に年に1作しかしません。」
無理をしない、自然の流れにまかせての野菜づくり。白石さんの畑には「スローな時間」が流れている。
震災後、出荷ができず、ただ畑を見つめるだけの日々が続いた
自然農法を続けて10年余り、個人的に取引をしたいというファンも増え、ようやく波に乗ってきたと思えた2011年春に、あの震災は起きた。
「震災が起きて、何も売れなくなりました。収穫するものは何も無いのに、ただ畑に来て、野菜を見ていましたね。呆然としていました。」
手塩にかけた野菜が無価値に変わる。その苦しみは、本人以外の誰にも計り知れないものだったのだろう。しかし、そんな日々の中でも、白石さんは前を向くことを忘れなかった。
「風評被害は人が作る被害だと思います。でも、だからこそ、(生産者と消費者の)お互いが触れ合って、理解しあえば、徐々に無くなっていくだろうな、とも思っていました。ダメだと言う人にいくら時間とお金をかけて説得してもダメだから、そうではなくて、味方優先で進んでいくのがいいと思って。そのほうが、自分たちもモチベーションが高いままいけるじゃないですか。」
野菜の売り方、食べ方を変えた、萩シェフとの出会い
味方を増やして、そこで新しい活路を拓く。その取り組みのパートナーとなったのが、「ine」のメンバーと、そこに新たに加わった、フランス料理店「Hagi」の萩春朋シェフだった。
「北瀬さんや『ine』のメンバーとは、震災の前の年から一緒にやっていたんですけれども、震災後にさらに結束は深まりましたね。新しいメンバーとして、萩さんにも来てもらったので、生産者がいて、調理者がいて、いろいろやってくれる人もいて、これはいける、と思いました。
白石さんにとって、萩シェフとの出会いは大きなインパクトだったという。
「それまで、うちでは野菜を使った加工製品はやっていなかったんですよ。でも萩さんが加わってくれたことで、加工品を作るルートができて、より手軽に、みなさんに野菜の美味しさを味わってもらえる可能性ができました。確かに、直売所にあるような、農家が自分で加工した製品もいいんですが、『餅は餅屋』といいますか、生産は生産だけを一生懸命にして、加工は萩さんみたいな、プロの方にお任せするのがより良いのかなと思うんです。」
白石さんはいまも、萩さんとのディスカッションを重ね、より美味しいドレッシングに向けた改良作業と、さらに新しい野菜加工品のプロジェクトを進めているという。
「本当に美味しい時期に加工品が作れたら、その野菜の賞味期限が大幅に伸びるわけじゃないですか。これって凄いことだと思うんですよ。俺も萩さんより年下ですけれど、味決めの時にはお互いに厳しく意見をぶつけますし、萩さんも俺の意見にちゃんと耳を傾けてくれます。今後は野菜スムージーや、キャベツドレッシングを作ろうという話もあるので、期待していてください。」
土の匂い、野菜の硬さ。ここでしか感じられない野菜の魅力もある
震災後、「いわきを応援したい」という首都圏の人々を「ine」事務局の北瀬幹哉(きたせ・もとや)さんが募り、ツアー化した「旬の野菜を味わうバスツアー」が行われ、「ファーム・白石」にも多くの都会の人が訪れるようになった。
「都会の方には、もちろん、野菜を見に来てほしいっていうのもありますけれど、それ以上に、いわきの豊かな自然を堪能してもらいたいですね。そこにうちや生木葉ファームさんの美味しい野菜も待っているということで。『収穫』っていうのは人間の本能のひとつだから、ツアーの皆さんも、本当に子どもみたいにはしゃいで収穫していますし、土の匂いとか、穫れたばかりの野菜の甘さ、硬さ、みずみずしさなど、東京では絶対に経験できないことにも出会えるはずです。」
今ではこのバスツアーに参加した人や、フェイスブックを見た人から直接、「今度また行きたい」「野菜を直接送ってほしい」と言われることも増え、風評被害を克服する、確かな手応えを感じているという白石さん。
「春には『ine』が主催の田植えのイベントもある予定ですし、夏になれば、トマト、野菜、田んぼの草刈りなど、フルコースでいわきの農業を体験してもらえると思います。ツアーに参加しなくても、1人からでも、畑を見に来たいと連絡をいただければ、よろこんで対応しますよ。いずれは一緒に定植をして、一緒に収穫をして、美味しい野菜を一緒に分かち合える“仲間”も増やしていきたいですね」
のちに萩シェフから聞いた話では、震災直後は、白石さんもかなり憔悴しきっていたそうだが、今はとてもアグレッシブに、前を向いて進んでいる。その力を与えてくれたのは、言うまでもなく、応援してくれる人々の存在だ。
「こういう活動を通して、いわきに来たい人がいて、応援したいという人がいることを肌で感じています。そこに情報と、アクセスのラインを作れば人は必ず来るし、風評被害は無くせると思うんです。野菜に関しては、なんだかんだと言うよりも、食べてもらうのが一番早いじゃないですか。だから来れる方には来てもらうのが一番だし、来れない人でも、野菜の発送や、ドレッシングの販売もしていますから、ぜひ一度味わってみてほしいですね。」
一部の報道では福島県産産品に対する風評被害は、まだまだ根強いと報じられている。そんな逆境の中でも、白石さんは仲間とともに、「自分ができること」を一歩一歩進めている。