里山を”宝の山”と呼ぶテキスタイルデザイナー
テキスタイルデザイナーの久米希実さんはヤマナハウスの設立メンバーの一人。「テキスタイル」とは布地や織物のことで、ファッションやインテリア向けの布地や織物をデザインする専門家である。
久米さんは学生時代からオランダに留学し、計5年オランダでテキスタイルを学んでいた筋金入りのデザイナー。いつも笑顔で場を明るくする、いわゆる”天然”、”お茶目”な性格を兼ねそえていながら、鬼気迫る集中力で作業や作品に向き合うギャップに異才を感ぜざるをえない。 それでは、どのようにしてヤマナハウスと出会ったのだろうか。
「日本に帰ってきてから、新しい目線でテキスタイルを発見、実践する方法を考えていました。そんな時に知り合いのつながりで出会ったのが、ヤマナハウスのメンバーです。ヤマナハウスの前はみんなで別荘を借りていたのですが、ちゃぶ台を囲んで衣食住の歴史を研究したり、文明を議論したり。理論だけでなく、即実践するところを見て『この人たちだー』って思いましたね(笑)。
私の場合は、すでに染まった布地や織物を使って、その場所や人に合ったファッションやインテリアをデザインするのが仕事。しかし、今の時代素材はどこからでも取り寄せることができます。素材がどのようにしてできるのか、また材料や染め方によってどのように色が変わるのか、一歩踏み込んだところまで知りたくて。ヤマナハウスは農地や裏山つきの広い古民家で、私にとってあたり一面宝の山ですね(笑)。」
色の起源は素材にあり 試験栽培の研究はつづく
2015年4月にヤマナハウスがはじまると久米さんは早速「藍」や「綿花」といった衣服と関わりある植物を農地に植えることに。植物を育てることはケアすることを意味する。こうして久米さんの月数回におよぶ”南房総通い”がはじまったのだ。
「藍の種は、藍の研究で有名な徳島県立城西高等学校に譲ってもらって栽培をはじめました。2年目は、1年目の藍からとった種と再度城西高校から分けてもらった種の両方を植えてみたんです。すると、なぜか1年目からとった藍の生育がよくない。そもそも1年目からして城西高校で見た藍とは勢いが違います。土壌や気候など様々な原因があるかと思いますが、ここまで種や環境で変わるんだなぁと。
綿花は、1年目から世界中の品種を試験栽培しています。驚いたのは、外来種が圧倒的に強くわたの収穫量が多いこと。逆に言うと、和綿のわたの収穫量が少ない。去年30本育てて1012個の種に対してたった52gのわたの量。参考までにTシャツの重さは150g程度です。また染めてみてわかったのですが、素材によって色素の定着度合いや色合いが異なります。はっきり染まるものもあれば、優しく素朴に染まるものもあって。品種や種、育て方まで関わって色が決まるのかと思うと、その奥深さに毎回驚かされています。」
型作りから染色まで全てを体験するワークショップ
久米さんは植物の試験栽培のほか、ヤマナハウスの周辺で採れる植物も合わせて草木染めのワークショップも開催してきた。「パタンナー」といって服の型を作る技術もある久米さんには、今後やってみたいワークショップがあるとか。
「これまでTシャツやストールなどの生地を染めるワークショップはやってきたのですが、折角なので衣服そのものを作るところから全て体験できたらなぁと企んでいます(笑)。型を作ってミシンで縫い、できた服を好きな方法で染める1泊2日のワークショップ!太陽光のUVを利用したシルクスクリーンで、枝とか花とか、自然素材そのもの柄を衣服にプリントすることもやってみたいです。
ヤマナハウスのいいところは『衣食住が切り離されていないこと』だと思うんです。服だって元を辿れば食べ物と同じ植物。暮らしにとって家の周辺にあるものは全て活用できるんだ〜ってところが素晴らしい。その原点を知ることは、今の暮らしを客観的に見つめ直す学びにもなり、新たな発想につながると思うんですよね。」
東京出身の達人アウトドアマンがヤマナハウスに合流
2017年の2月にヤマナハウスに訪れ、4月から正式に新メンバーとして加入したのが川鍋宏一郎さん。見るからに人を喜ばせるのが大好きな雰囲気を醸し出している。ちなみにヤマナハウスでは通称「マギー」と呼ばれているそうだ。 東京の戸越銀座が実家という、生粋の東京ローカル育ち。現在は7歳と5歳になるお子さんと家族4人で横浜市に住んでいる。川鍋さんはなぜ千葉県南部にあるヤマナハウスに合流したのだろうか。
「原体験としては、小学生の時に三宅島の10泊合宿に参加したことかもしれません。自分たちで食材を調達したり、料理をしたり、時には鶏をしめるところまで体験して幼心に強烈なインパクトを残しました(笑)。そのお陰もあって、野外活動が好きになり、車を持ち始めてからは毎週末のようにオートキャンプ場に通っていました。
もう一つは、南房総市三芳地区と東京で、2地域居住をしている馬場未織さんの本を読んだことです。当初は2地域居住と別荘の違いがよくわかっていませんでしたが、この本を読んでとても魅力を感じました。そこでそんな拠点がないものかと探していたところ、HPでヤマナハウスを見つけて即連絡したところがはじまりです。」
⇒馬場未織さん取材記事はこちら
1泊2日で消えてしまうより、積み重なっていく拠点を選んだ
キャンプ好きが高じて、横浜市の自宅一室はキャンプ道具の収納庫になっているという川鍋さんだが、全国のキャンプ場に足を運ぶ中でどこか物足りなさを感じていたそうだ。その時ちょうど手にした馬場未織さんの著書(『週末は田舎暮らし』)から触発を受け、子ども達の教育を考えたときに、ヤマナハウスは格好の拠点となった。
「週末1泊2日でキャンプに出ると、もちろん滞在中は楽しいのですが、広げた道具を最後全部片付けて撤収することが段々と虚しくなってきました。簡単にいうとそこに何も残らないんですよね。ヤマナハウスの場合『あそこの木は俺が刈ったんだぜ』(笑)とか『来週はバーカウンター作ろう』とか、やったことがどんどん貯まっていく。通うことで積み重ねていく価値があるんだということを実感しています。
3回に1回は家族ときていまして、幼い頃に僕が三宅島で体験させてもらったようなことを子ども達にも感じてほしいですし、妻も一緒になって楽しんでいます。ヤマナハウスには老若男女いろいろな方々が集いますので、そんな人たちの中で育てられコミュニケーションを取ることも子どもにとって貴重な学びになっているでしょう。」
川鍋さんによると、都会で週末遊びに出れば、ショッピングや行楽地で1万円や2万円はすぐに飛んでいってしまう。南房総市はもちろん近い距離ではないが、交通費や食費を合わせて行き帰り1万円ほど。都会で遊ぶのとそう経費は変わらないのだという。
川鍋さんは現在、自身がバーテンダーだった経験を生かし、ヤマナハウスを中心とした”里山バー”を企画している。里山バーとは、2地域居住や移住に関心ある方、そして地元民が集まる出会いの場。月に一回の古民家リノベーションや野良仕事後の打ち上げや、収穫感謝祭でのBBQ時に出現する予定である。あくまで飲食店ではなく、ヤマナハウスの「場所」と「バー空間」を提供するイベントで、参加者は寝袋持参でヤマナハウスに泊まることもできる。ヤマナハウスに興味ある方は一度参加してみてはいかがだろうか。
シェア里山の観念を支えたのは、アナログなコミュニケーション
それでは、最後にヤマナハウスの代表である永森まさしさんに、これまでの3年間の振り返り、そして今後について聞いてみよう。永森さんは新宿にあるシェアオフィスHAPONの共同創設者でもあり、ヤマナハウスメンバーの中でただ一人南房総市に住んでいる人物。南房総では合同会社AWATHIRD代表として南房総市公認プロモーターも務めている。
「ヤマナハウスはメンバーといっても、つまりは『共同オーナー』で、利用したいと思う人が年会費を払って運営しています。家賃は安くとも家屋の修繕や備品の購入でこれまで数百万はかかっていて、何をやるにも合議制で進めてきたため、それなりに大事業の3年間でした。振り返ってみてヤマナハウスにはいくつかの要素が複合していて『シェア』『2拠点』『里山』あたりがそれにあたると思います。
いずれも現代の地方を考える時に重要な概念ですが、3年を通して意外にもアナログなところに答えがある気がしています。例えば『シェア』。コスト負担の軽減や助け合いなど利点や美徳は数え切れませんが、これを実現するのは仕組みや決め事以上にコミュニケーションの手数であることに気づきます。ちょっと外へ行く際に声を掛け合ったり、連絡をまめにとったり、他者を許容しながらの小さなコミュニケーションが『シェア』の本質なのではないかと。」
確かに、誰かの所有物でもなく、何か商売をしているわけでもない。それでいて個性的な複数人で運営しているヤマナハウスは地方の拠点作りでも異色の存在である。暮らしの歴史を辿り実践する、極めて実験的な活動が続いてきた背景には、メンバー内の細やかな”コミュニケーション”があった。
“衣食住”と”楽”のDIYこそ、ヤマナハウスのコンテンツ
立ち上げからこれまで数多くの議論と実践を経て「シェア里山」という新しいモデルを提示してきたヤマナハウスメンバーたち。今後永森さんは、「シェア」「2拠点」「里山」というキーワードに関心ある方へオープンな場にしていきたいと語る。
「『2拠点』といっても、わざわざお金と時間を使って毎月通うというのは誰でも続けられることではありません。今いるメンバーは単なる好奇心を超えて、南房総に拠点を持つ必要性を感じている人たちです。ヤマナハウスでやっていることは、簡単に言えば『里山』を舞台とした”衣食住”そして”楽しむ”ことのDIY。こうしたことに興味がある人はそうたくさんいるとは思いませんが(笑)、都会での”遊び”が出尽くしてしまった現代、都会とのちょうどいい距離感で大自然が広がる南房総を活かして、スペース貸しや準会員制度など、新しいことにも挑戦していきたいと思います。
既に、敷地の一部である休耕地をワンべジという新規就農チームに実験農園として使ってもらっていますが、まだまだ手付かずの裏山や未使用時の古民家を使って何かやりたい人がいれば歓迎します。裏山でツリーハウスでも古民家で研修でも、里山をフィールドに楽しんでいただければ。」
取材当日はヤマナハウス設立メンバーでもある司法書士、鬼島大輔さんが渡米する前の最後の顔合わせでもあった。「理論と現場の往還」。鬼島さんが残したこの言葉が、ヤマナハウスの姿を端的に表している。彼らは決して単なる娯楽をしているわけではない。都市と地方という二項対立を超えて、人と人、人と自然の共生を現代的に捉えなおし、開拓しているのだ。なんと贅沢で充実した”楽しみ”だろうか。今後もヤマナハウスが、独創的なコミュニティであることを期待したい。