55年ぶりの帰島
第26代利島村村長に就任した前田福夫さんは、6人兄弟の3男として利島に生まれた。15歳のとき高校進学を機に島を出て、そのまま東京で大手メーカーに勤務。60歳で退職後は、晴耕雨読の生活(笑)を送る予定だったという。
「しかし、私はここで育ったので、何かしたいという気持ちが常にありました。」
島の方々の勧めもあり、2013(平成25)年村長選に立候補。半世紀ぶりに島に戻る決心をする。
「日本一住みやすく、幸せを実感できる利島村」を目標に掲げる前田村長。 子どもの頃から現在に至るまで話をじっくりうかがいながら、利島にとっての“幸せのあり方”を考える。
困難な時代を共同体で乗り越える
村長は子どもの頃の思い出を、色鮮やかに語りはじめた。
「私達の小さい頃は食べ物があまりなかったので、子どのおやつ等は自給自足状態(笑)でした。海岸に行ってエビ(伊勢エビ)を捕まえたり、サザエやめっかりを取ったりして食べていました。当時はエビも今よりたくさんいましたから、みんなで捕まえてザルで茹で、それをおやつ替わりに食べたような時代でした。伊勢エビが高級品だと知ったのは高校に入って暫くしてからでした(笑)。
野菜が不足した時は、アシタバや三つ葉を山に取りに行きました。その為か私は今もって三つ葉の卵とじが好物です。」
今でも冬になると西風の影響で船が着かないことが多い利島だが、桟橋が整備されていなかった当時はさらに定期船の就航率が低かった。そのため重油などの燃料が限られたためか、電気も24時間使用できなかったそうだ。 「だいたい夕方6時くらいから10時くらいまでしか電気の灯りがありませんでした。受験勉強の時もそうだったと記憶しているので、高校に入るまではロウソクとかランプで勉強していました。」
インフラが整っていない中にあっても、当時は90%以上が島出身者だったこともあり、島の人達は共同体としての強いつながりで不便さを乗り越えてきたように思います。
「結(ゆい)といって、例えばどこかの家を建てる時には、村総出で手伝いました。今の桟橋は5、6人の人手で船の接岸作業が出来ますが、昔の桟橋の無い時は、はしけ作業だったため村の人総出でやっていました。船の来る日は、みんなで、船を引っ張ったりしていましたね。」
しかし村長が島を離れていた半世紀の間に、共同体の意識も少しずつ希薄になってきたと感じている。
「狭い所で、人口も少なく、しかも海で離れている訳ですので、連帯意識がないとひとつの自治体としての機能を果たせない。自分のことだけやっていたら、人手が足りなくなってしまいます。一人3役4役やらないと。みんなが其々自立しつつも、一つの共同体みたいな意識が必要だと感じます。」
豊かな人間関係という価値
利島には、共同体のつながりを自然に醸成する「ボイ」という習わしが残っている。これは、赤ん坊が生まれた時、1日中働き詰めで子どもの面倒を見られない両親に代わり、10歳前後の女の子にお願いしてボイ(子守役)になってもらう制度だ。
「ボイは子どもを介してつながりを持つ習慣。ボイの家とは、親戚以上に密な関係で、生涯つながっていきます。ボイのお父さんお母さんは、その子を自分の子どものように扱います。例えば小学校入学する時にランドセル買ってあげるのはボイの親です。うちの父は酒が好きで、雨で仕事ができない日はよくハシゴ酒をしていました。私は6人兄弟でボイの家が何軒もあったので、父はボイの家なんかをハシゴしていました。」
インタビューに同席していた村役場の荻野了さんが、ハシゴ酒に反応し言葉を重ねる。 「僕も独身の頃は、よくアポなしで誰かの家でご飯を食べさせてもらっていました。今まで一度も追い返されたことはありません。お酒が飲めるクチなこともあると思います(笑)」
表札もインターフォンも、家の鍵をかけることもない利島。他人の家に上がり込み、ご飯やお酒をいただくことは島の人にとって日常のことだ。 最近は、人間関係が希薄な都会から“つながり”を求め田舎への移住する人が増えていると聞く。“つながり”を求める人たちにとって、利島の人間関係の豊かさは大きなの“価値“として映るかもしれない。
島の人たちが幸せに生活している、それこそが観光資源
就任してまだ1年3ヶ月の前田村長。今後重点的に取り組みたいと挙げた課題は、教育・子育て支援、高齢化問題、観光、再生エネルギーの4つだ。ただ、それを実行する上で常に念頭にあるのが「利島の人の幸福度」だという。
例えば、観光についても、前田村長は利島独自の“幸せな”やり方を模索していきたいと話す。
「利島についてインターネットで調べると、利島住民の特徴として『観光にあまり興味がない』という表現が出てくる。確かにそういう見方もできるかもしれないが、専門家に話を聞くと、これは非常に良い状態、逆にこういう状態を作ろうと思っても出来ないとおっしゃられる。つまり、『島の人たちが自ら幸せだと思って楽しみつつ生活していること、そのものが観光資源』なんだと」
単にたくさんの人を呼んでお金を落としてもらえばいいということではない。今残っている利島の姿を見たいと思う人に来てもらうことが、利島にとっても、観光客にとっても幸せな観光のあり方なのではないか、前田村長はそう考えている。
2日間の滞在中、会う人会う人に利島の魅力を尋ねた。すると必ず「人」という答えが返ってきた。利島の「人」という価値を伝えるためには、「外とのつながりとなる窓口は非常に重要。それをどう作るか、色々勉強させてもらっています。」という村長。 今回のインタビューが少しでもその「窓口」の役割を果たせたなら、私たちにとっても“幸せ”なことだ。