どの階からも海を見渡せる、最高のオーシャンビュー
「シラハマアパートメント」が建っているのは国道410号線沿い、いわゆる「フラワーライン」から、少しだけ陸に入った場所だ。目の前には磯が広がり、潮の香りがほのかに漂う。海とアパートメントの距離はわずか十数メートルほど。遮る建物などは何もなく、海をぼーっと眺めていると、時折国道をトラックが通って、「ああ、そこに道があったんだっけ」と思い出す。
そのビルを多田さんは丸ごと借り切ってリノベーションを施し、2010年に「シラハマアパートメント」を開業した。1階は自身が経営するカフェ「and on cafe」をメインにしたフロアで、一角にテナントしてとんぼ玉作家のアトリエが入っている。2階は学習塾に貸している部分と、眺望抜群のゲストルームが2部屋。3階はシェアハウスとして賃貸しており、主に2拠点居住者が入居している。彼らがが訪れるのは主に週末だ。一応4階まであるが、「雨漏りしていて部屋としては使えないので、倉庫になってしまっています」とのことだ。
もともと、多田さんはこの建物の一角に住まい、カフェの店頭にも立っていたそうだが、今はそのカフェを通じて知り合った地元出身の女性と結婚し、彼女の実家に住んでいる。その奥様とは、いまカフェに立っている、笑顔の素敵な女性のことである。
「一目惚れ」から始まった南房総ライフ
香川県高松市、県庁所在地でもある中堅都市で生まれ育ったという多田さん。なぜ、南房総への移住を決めたのだろうか。
「学生時代にこっちに来て、千葉の県北の大学に通っていました。だから今では、高松よりも千葉歴のほうが長いんですけれどね。大学で専攻していたのはプロダクトデザイン。もともとは、家具職人になりたかったんですよ。でも、学生時代に設計事務所のアルバイトに入ってみたら面白くて、それから毎日のように、設計図をCAD(キャド)で書いていました。」
卒業後はインテリア関連の会社に就職し、店舗の内装設計に関わったり、時には営業職として取引先を回ったりと、多忙なサラリーマン生活を送っていたという。しかし、その中で温めていたのが、「30代で起業したい」という密かな思いだった。
「実は実家が不動産屋なんです。で、ある時会社を辞めて、実家に帰って、不動産の勉強もしてみたんですよ。でもやっぱり合わなくって、こっちにすぐ戻ってきて、建築と不動産と、これまでやってきたアート的、デザイン的なものを複合させた何かを、ビジネスにできないものかな、と考えていたんですね。」
そんな時に出会ったのが、もともとはホテルの社員寮として建てられ、オーナーを転々としたのち、放置されていたこのビルだった。
「実はこの場所と出会う以前に、千葉でももっと上のほうの一宮(長生郡一宮町)というエリアで何かをやりたいと思って探していたんです。でもなかなか物件が無いし、すでに飽和状態のエリアだったので、ここでは面白くないのかな、と思っていて。その後、ほかを探し始めた時に、このビルのオーナーとの縁があったんです。オーナーはこのビルを買ったものの、活用するまでは至っていなくて、借り手を探していたんですね。早速その方にお願いをして、ここを案内して頂いたんですけれど、屋上に立った時に『目の前が180度水平線、後ろは180度山』っていう絶対的な環境が目に入って、“これはそうそう無いな”と一目惚れをしてしまったわけです。」
その瞬間に、南房総への移住を決意したという多田さん。同時にこのアパートメントの形も決まったという。
「建物を見た瞬間に、1階にカフェがあって、2階にゲストルームがあって、3階以降がシェアハウスだったら面白いな、っていう、現在の形が思い描けたので、あとはそれを形にするだけでした。」
そして、ほどなくオープンしたアパートメント。手探りで経営をスタートした矢先に、奥さんとの出会いも訪れた。元々は奥さんも東京で働いていたそうだが、実家に帰ったついでにこのアパートメントに立ち寄り、多田さんと意気投合。彼女もまたこの建物によって、運命が一変した一人である。
移住して感じた、地元の人の温かさ
こちらに移り住み、今ではすっかり住民の一人として馴染んでいる多田さん。しかしながら、人口が少なく、高齢化も進んでいた白浜地区に「都会人」が入っていくことに、苦労などは無かったのだろうか。
「南房総市自体は合併でできた市なのでけっこう広いんです。もともとこの辺りは安房郡白浜町という小さな町だったんです。町民はじいちゃんばあちゃんばっかりで、人口も3千人ぐらいしかいません。ただ、みなさん元気で、70,80になっても畑なんかをやっているんです。」
「苦労?それは無かったですね。海の幸、山の幸、畑のもの。何でも手に入る場所なので、人柄もすごく穏やかなんですよ。このカフェにいても、近くのおじいやおばあがイワシやサザエなんかを持ってきてくれますし、ひじきなんかは、『採れすぎたから、岩の上に置いてあるのは勝手に持っていていいよ』とか、そんな感じで。建物の改装をしている頃には、『何ができるんだい?』って気軽に声を掛けて下さったりして、本当に良くして頂いていますね。」
カフェに「お客さん」として来ることは少ないそうだが、「おすそ分け」にはよく来てくれるという、近所の人々。もちろん、それは多田さんの温厚な人柄がなし得ることなのだが、そうでなくても、外からの人々に対してはとても温かい眼差しを持った地域だということだ。
今は農業にも没頭中。そしてその先には…
海産物に農産物。ご近所さんからいろいろな「美味しいもの」を頂いている多田さんだが、最近は自分で農業をすることにもハマっているそうだ。
「実はこの辺りには、耕作放棄地が沢山あるんですよ。地権者の方に聞くと、“維持してくれるならいくらでも使っていいよ”という感じなんです。なので、そういうところ全部合わせて3、4反ぐらいお借りして、畑仕事もしています。」
「今はちょうどそら豆の種を植えているところだし、ほかにもサツマイモを植えてカフェのケーキに使ったり、ミントでモヒートを作ったり、バジルをジェノベーゼに使ったり。いろいろやっています。」
1反という広さは、イメージとしては1辺が30メートルの正方形の広さ。小さめの田んぼ1枚分くらいの広さだ。それを何枚も一人で耕すのはけっこう大変なことだが、多田さんはこれと並行しながら、もう一つの農業にも挑戦中だという。
「実はこの間、海沿いの土地を購入して、そこにぶどうの木を植えたんですよ。もともと荒れ地になってしまっていたところに。植えたのはまだ10本くらいなんですけれど、そのぶどうでワインを作って、いずれは小さなワイナリーにしたいと思っているんです。」
その畑の一角にはオリーブも植えており、いずれは「海岸線にオリーブの林を作ってみたい」というのが、多田氏の夢の一つになっているそうだ。
そんな彼がまた面白いことを言い出した。
「実は先日、猟銃の免許を取るための講習に行ってきたんです。」
聞けば南房総の山にはイノシシが多く住んでいて、畑の作物を食い荒らす被害が深刻だとか。もちろん地元では駆除のニーズが高く、その一助になれば、ということで免許を取るための講習に通い始めたそうだ。
「この裏の山にある木って、ほとんどがマテバシイなんですよ。要はどんぐりです。それを食べているイノシシって…、そう、イベリコ豚みたいなものですよね。だからこれをイノシシと豚のハイブリッドに改良して飼育すれば、これも面白いのかなと思っています。飼育ってのは少し先の話かもしれませんけれど、とりあえずは近いうちに、『ジビエとワイン』をここで出していきたいな、ということは思っていますよ。」
可能性があれば何にでも挑戦してみようという、はかり知れないパワフルさと行動力を持った多田さん。「南房総ワイン」が飲める日は、そう遠くない未来なのだろう。
廃校を使った新しいプロジェクトが進行中
インテリアデザインに、カフェ、シェアハウス、ミニホテル、畑、ワイン、狩猟。幾多のユニークなビジネスや取り組みを同時進行で行っている多田さんだが、実は今、一番熱を入れていることはさらに別にある。それは近くにある小学校跡を使った、2つ目のシェアプレイスの計画だ。
「近くに廃校になった小学校(旧長尾小学校)があるのですが、そこを、ここと似たような形でリノベーションしているんです。飲食も賃貸もあって、宿泊もできるという形に。2016年7月のオープンを目指しています。部屋数はアパートメントよりも多くて、33㎡の部屋を10部屋と70㎡の部屋を2部屋、合計12部屋をシェアオフィスとして提供する予定です。もちろんカフェとゲストルームもありますよ。」
こちらは個人向けのシェアハウスではなく、シェアオフィスとして、主に法人やベンチャー事業者に向けてアピールしていくのだという。アパートメントよりは少し内陸の立地になるが、平屋で落ち着いた佇まいに、背後はすぐ山というストレスフリーの環境だ。高速のネット環境も完備されるそうなので、新たなビジネススタイルが、ここから生まれていくのかもしれない。
もうひとつ面白いのは、その学校にはシェアオフィスだけではなく、「無印良品」が手掛ける小屋ビジネス「MUJI HUT」の“日本初”の分譲地ができるということである。
人の縁、運命の糸とは、何とも面白いようにつながるもの。小学校の敷地は3千坪。そのうち1千坪が校舎で、2千坪がグラウンドということだが、かくしてグラウンドには20~25棟の「MUJI HUT」が建ち、多田さん達はシェアオフィスと一緒に、この小屋の管理も請け負うことが決まった。こちらも2016年の秋頃、動き始めるのだという。
「南房総に興味があっても、いきなり定住するのは難しいでしょうから、まずはこの小屋を使って“2拠点生活”をしてみるのもいいんじゃないですかね。友人が来たら、校舎側の宿泊スペースを使っていただければいいですし。そこから南房総の良さを知ってもらって、いずれは移住してくれたら、それは嬉しいことですね。」
南房総は可能性にあふれた「陸の孤島」
「房総半島の中でも、特にこの白浜は“陸の孤島”なんです」と話す多田さん。日々の天気予報は、館山ではなく大島など伊豆七島の予報を信じたほうが、当たる確立が高いのだという。館山から白浜に出るには一つ低い山を横切るのだが、その山が壁になって気候を分けている。
「“陸の孤島”なんですけれど、でも、都会との2拠点生活もできるんですね。もちろんちょっとしたリゾート地でもありますし、“いいとこどり”なんですよ。何でもできるんです。でもその割には何にも無さすぎるし、開発されていない。そこが、すごく魅力的なんですね。」
陸の孤島。何も無さすぎる場所。言葉だけ聞くとマイナスなイメージだが、多田さんはそれを「魅力」と言い切る。それはこの場所が、「都会から2時間、往復5千円以内で来れる場所」だからだという。
「たとえばこれが伊豆だと、何だかんだ言ってやっぱり遠いじゃないですか。だから2拠点生活は難しいです。行くのに時間もお金もかかるし、人も多すぎるんです。その点、南房総は近いのに人が居ないですからストレスフリーになれる。ポテンシャルはめちゃくちゃあると思いますよ。それに、僕もそうですけれど、ここでは何をやっても注目されるし、何でもできるんです。そういうところがすごくいいですね。」
可能性はあるのに、今まで見落とされていた南房総エリア。そこに多田さんをはじめ、若い世代のクリエイティブな人々が注目し、移住や2拠点生活を始めているというのが、現在の状況だ。このポテンシャルが知られ、動きが広がっていけば、南房総は孤島から“2拠点生活の聖地”へと、変わっていくのかもしれない。
移住は焦らず、片足から
カフェやシェアハウスを利用する人の声からも、南房総の持つ「圧倒的優位性」を確信しているという多田さん。しかし、「移住したい」とい相談を受けた時には、比較的慎重な意見を返しているという。
「いきなり両足を突っ込んでの“移住”というのは、かなりリスクもありますし、あまりおすすめしないですね。南房総は2拠点生活もできる場所ですから、まずは“2拠点生活”で片足を突っ込んでみて、ダメだと思ったらまた戻ればいいんです。まずはとりあえず、南房総に来て、少し滞在してもらうということが第一歩だと思いますよ。」
“いきなり全部”ではなく、“とりあえずお試し”から。多田さんがシェアハウスやシェアオフィスに取り組んでいるのも、沢山の人に南房総の魅力を堪能してほしい、でも、移住して失敗はしないでほしい、という思いがあるからだ。
「田舎はストレスフリーなので、給料は減ったとしても、70代、80代、もしくは死ぬまで、ずっと“現役”を持続できると思うんです。そうなると、生涯に稼げる金額って、意外とあるんじゃないかなと。南房総のいいところの一つって、『とは言っても、関東圏』ってことなんですよね。関東圏に住んでいる人口は4千万人、日本の3分の1です。そこを商圏にできる、宣伝ができるってことはすごく魅力ですよね。」
気分は離島、暮らしは南国。でも商圏は関東。それが南房総が持つ独自性なのだろう。
南房総に暮らして5年以上になる多田さんだが、「いいとこばっかりで、デメリットはあんまり無いですね」と、笑顔を見せる。彼のようなおおらかに、自然を愛し、多少の不便は笑い飛ばせるような人であれば、きっと南房総の地は、優しく微笑みかけてくれることだろう。